フランスの五月革命(五月危機)をまとめているフランス語のニュースをEuronewsから紹介します。
五月革命は1968年5月に、フランスのパリを中心にして起きた反体制運動です。最初は学生運動でしたが、それが労働運動を引き起こし、大きなゼネラル・ストライキが起きて、街が一時、機能停止に陥りました。
五月革命は日本での言い方で、フランス語では «Mai 68»と呼びます。
1968年は世界各地で暴動やか大きなデモが起きた「動乱の年」です。今年、2018年は5月革命から50周年なので、記念のニュースや記事がたくさんアップされました。
Euronewsのクリップはそんな中の1つです。
1968年の5月はフランスをどんなふうに変えたか?
Quand Mai 68 changea la France(1968年の5月がフランスを変えた時)
2分30秒。
以下、和訳を掲載します。
トランスクリプトはこちらにあります⇒Quand Mai 68 changea la France | Euronews
すべては学生運動から始まった
1968年5月はフランスに革命を起こしました。50年前、この学生と労働者のムーブメントは歴史を変えました。
すべてはパリの学生運動から始まりました。
基本的に反体制かつ無政府主義の運動で、当時のあらゆる形の帝国主義を告発し、風習の自由化を要求し、「従来の大学」と、フランスを支配していた消費者社会 — 10年の繁栄のあと失業の時代に入っていた社会 – に対して異議を唱えたムーブメントでした。
「走れ、同士よ、古い世界はもう終わった(Cours, camarade , le vieux monde est derrière toi)」「リアリストになれ、不可能を求めよ(Soyez réaliste, demandez l’impossible)」などに代表されるスローガンが、当時、あちこちで聞かれました。
1968年の5月と6月、デモは警察の弾圧にあいました。
少なくとも7人が志望し、2000人以上が怪我をし、何百人も逮捕されました。
「フランスの5月(Mai français)」は当時、世界中の学生や労働者に起きていたことと足並みを揃えていました。ドイツ、アメリカ、メキシコ、日本、ブラジル、チェコスロバキア、中国と。
学生運動から労働運動へ
学生たちの訴えは共感を呼びました。
はじめは学生運動に冷たかった労働者ですが、1968年5月13日に、20世紀でもっとも大きなゼネラル・ストライキを起こし、フランスを数週間、まひさせました。このストは1936年の人民戦線より規模が大きいものでした。
物質的な要求や賃上げ要求だけでなく、1958年以来のド・ゴール政権に対しても抗議の声があがりました。
ド・ゴール大統領にとっては、この危機は何よりも「大騒動(la chienlit)」でした。
労働者は平均35%の賃上げ、実際の給与の10%の上昇とストライキ中の日数分の給料の半分を獲得し、企業規模のシンジケートを作ることも許されることになりました。
グルネル協定
これはグルネル協定です。下部組織に拒否され、署名されませんでしたが、後に続いた政府によって施行されました。
この運動の逆転は、その直後に表れました。ド・ゴールが再び政権を獲得したのです。彼は5月29日に議会を解散し、1968年6月30日に選挙を行いました。
当時の首相、ジョルジュ・ポンピドーの提案によるものです。ポンピドーは、この政治的できごとにおいて、真の勝者となりました。
あとになり、これは革命としては失敗だったが、改革としては成功した、という人たちもいます。
この時から、指導者として活躍している人たちがいます。たとえばダニエル・コーン=ベンディットのように。
彼は、5月革命の始め、学生として抗議し、その後、1968年にフランスを追放されてからは、フランクフルト大学から声をあげていました。
「この運動が、私達が求めているものを獲得して終わったとは思いません。労働者の意見に基づいた新しい社会のことです。まだその時ではないのでしょう。
ですが、フランスでは大切ですばらしいことが起こりつつあります。人々は、もし、街に出て会社を占拠すれば、物事を変えられるとわかったのです。
これは重要なことです」。
単語メモ
essentiellement もともと、本質的に
libertaire 絶対自由主義の、無政府主義の
impérialisme 帝国主義、(特にマルクス主義でいう資本主義の最終段階としての)帝国主義
dénoncer 暴く、告発する
revendiquer ~を(権利として)要求する、請求する、主張する
mœurs 風俗、風習、しきたり
contester 異議を唱える
fleurir 花がさく、降盛を極める
Front populaire 人民戦線;ファシズムと戦争に反対する政党や団体によって結成された大きな統一戦線。フランスでは1935年5月に成立し、1938年2月にかけて政権を握りました。
au-delà その向こうに、その先に;それ以上に
revendication (政治的・社会的な)権利の要求、(複数形で)要求事項
remise もとの場所・状態に再びおくこと、リセット、消去
régime gaullien ド・ゴール体制
chienlit 騒動、混乱
accords de Grenelle グルネル協定。5月革命のとき、政府と労働者が結んだ労使協定。
賃金の35%アップ(une augmentation du salaire moyen de 35 % )は最低賃金のことです。
base (政党・労働組合の)下部、底辺部、下部組織
basculement 転覆、大きな変化、転換
avec le recul 時をおいて見ると、結果的に
Daniel Cohn-Bendit ダニエル・コーン=ベンディット フランス生まれの欧州連合の政治家。ユダヤ系ドイツ人で、両親は、ナチスの迫害をのがれて、フランスに亡命しました。
最後にインタビューに答えているのは、当時のダニエル・コーン=ベンディットです。5月革命の発端はパリ・ナンテール大学で、彼はそこの学生でした。
expulsion 追放
文法プチメモ
やや単語が難しいのと、ところどころ文章が長いので訳しにくいのですが、文法的にはそんなに難しくないと思います。
文法のポイントとしては、過去のことを語るのに使う時制、単純過去形があげられるでしょう。
こんな動詞です。
révolutionna
changea
commença
furent
attira
se mirent
単純過去の語尾はパターンがあります。
ER動詞は -ai, -as, -a, -âmes, -âtes, -èrent
IR動詞、RE動詞は -is, -is, -it, -îmes, -îtes, -irent
ぱっと見、現在形の活用と同じだったり、単純未来形に見えたりすることもありますが、たいてい文脈からわかるようになっています。自分で使う必要はないので、見てわかればいいのです。
avoirとêtre は例外で
avoir: eus, eus, eut, eûmes, eûtes, eurent
être : fus, fus, fut, fûmes, fûtes, furent
ニュースでは、過去のできごとを表すのに現在形や単純未来形も使われています。
五月危機:関連動画
1jour1quesitonのアニメーションによる説明です。
2分50秒のナレーションで説明している動画です。
こちらは写真とキャプションで説明している動画です。
1分45秒
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五月危機は文化人にも大きな影響を与えました。
1968年当時、ヌーヴェル・ヴァーグの騎手だったトリュフォーやゴダールは、警察の弾圧や、当時の映画界や政府のあり方に抗議するため、カンヌ映画祭の中止を呼びかけ、同士とともに、会場に乗り込み、結果的に、中止に追い込んでいます。
映画界も、権威的だったのでしょうね。
それでは、次回のニュースの記事をお楽しみに。
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