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ジュリエット・グレコ、93歳で亡くなる。

シャンソン界のイコン、ジュリエット・グレコが2020年9月23日に亡くなりました。

訃報を伝えるRadio Canadaのニュースクリップを紹介します。

タイトルは、Juliette Gréco n’est plus(ジュリエット・グレコはもういない)

2分43秒。フランス語の字幕があります。



ジュリエット・グレコはもういない

カナダのニュースなので、カナダのフランス語ですが、そこまでアクセントは強くありません。

3分14秒。フランス語の字幕あり。

トランスクリプション

Juliette Gréco, c’était une voix profonde, sensuelle, une interprète à la gestuelle unique.

À la fin de la Seconde Guerre mondiale, Juliette Gréco fait partie de cette jeunesse qui fait la fête dans le quartier parisien Saint-Germain-des-Prés.

La jeune femme deviendra l’égérie de ce mouvement appelé l’existentialisme.

– On avait faim, on avait soif, on dormait pas, on s’amusait bien, on était libres.

C’est Jean-Paul Sartre qui l’a poussée vers la chanson en 1949.

– C’était un ordre, c’était rien d’autre. “Gréco, vous chantez.”

Elle interprète d’abord des poèmes mis en chansons pour elle.

– Je voulais pas du tout chanter. C’est une idée folle comme ça.

C’est ainsi que le public découvre sur scène une chanteuse expressive toute vêtue de noir.

Sartre lui fait alors cadeau de sa première chanson, La Rue des Blancs-Manteaux.

Suivront Vian, Ferré, Prévert, Aznavour, Brel, Brassens, Béart et Gainsbourg.

Juliette Gréco est séduisante, provocatrice et à la fois garçon manqué.

– Je vivais libre. Je vivais comme vivaient les hommes.

Elle fréquente le trompettiste Miles Davis et le producteur américain Darryl Zanuck.

En 1986, elle épouse son pianiste et compositeur Gérard Jouannest. Sa carrière est ponctuée de rôles au théâtre, à la télévision et au cinéma où elle travaille avec John Huston et Orson Welles.

Toutefois, chanter demeure ce qu’elle préfère.

– La chanson permet de jouer la comédie.

– Oui.

– La chanson permet de rencontrer des gens.

Amoureuse de sa langue, elle chante toujours en français qu’elle soit à Paris, au Japon et en Grande-Bretagne.

Juliette Gréco se produit à de nombreuses reprises au Québec.

Elle fait un arrêt aux FrancoFolies à l’été 2015 à l’occasion de sa dernière tournée intitulée “Merci”.

Mais un AVC, subi en mars 2016, la force à suspendre ses activités.

Aujourd’hui, la jolie môme n’est plus, mais elle demeurera une icône de la chanson française.

Ici Valérie-Micaela Bain, Radio-Canada, Montréal.

和訳

ジュリエット・グレコは、深くて、官能的な声をもち、独特の身振りをする歌手でした。

第二次世界大戦の終わり、ジュリエット・グレコは、パリのサンジェルマン・デ・プレの界隈で、パーティをする若者たちの1人でした。

この若い女性は、実存主義と呼ばれる運動のミューズになりました。

「みんなおなかをすかせて、喉がかわいていたわ。寝ずに楽しんだ。自由だったわね」。

1949年、グレコの背中を押して歌わせたのは、ジャン・ポール・サルトルでした。

「命令よ。それ以外の何ものでもない。グレコ、歌え、ってね」。

グレコは、はじめ、彼女のために書かれた詩を歌いました。

「全然、歌いたくなかたわ。馬鹿みたいだもの」。

こうして、大衆は、黒ずくめの服を着て、表現豊かに歌う歌手の登場を知りました。

サルトル自身が、最初の曲を作ってグレコにプレゼントしました。『ブラン・マントー通り』(La Rue des Blancs-Manteaux)です。

ついで、ボリス・ヴィアン、レオン・フェレ、ジャック・プレヴェール、シャルル・アズナブール、ジャック・ブレル、ジョルジュ・ブラッサンス、ギー・ベアール、ゲンズブールが曲を贈りました。

ジュリエット・グレコは、魅力的で、挑発的で、お転婆でもありました。

「自由に生きたわ。男たちのように生きてきた」。

彼女はトランペット奏者のマイルス・デイビスや、アメリカの映画プロデューサー、ダリル・ザナックと付き合いました。

1986年、グレコは、自身のピアニストで作曲家のジェラール・ジュアネストと結婚。歌だけでなく、劇場での芝居、テレビ出演、ジョン・ヒューストンやオーソン・ウェルズと映画で、共演もしました。

ですが、一番好きだったのは歌うことです。

「歌えば、劇を演じることができます」

「ええ」

「歌えば、人々と出会えるのです」

母語を愛していたので、グレコはいつもフランス語で歌いました。パリでも、日本でも、英国でも。

ケベックでは何度もステージに立っています(←何度も歌の再現を行っています)。

2015年の夏、フランコフォリ(フェスティバルの名前)に出演しました。「メルシー」と名付けられた最後のツアー中に。

しかし、2016年の3月に脳卒中になり、活動を停止しました。

今日、きれいだった女の子はもういません。でも、彼女はフランスのシャンソン界のイコンとして、生き続けるでしょう。

ラジオカナダのヴァレリー・ミカエラ・ベインが、モントリオールよりお伝えしました。、

単語メモ

égérie (政治家、芸術家などに)強い影響力を持つ女性、女性助言者;(話)強盗団の女ボス、女性の黒幕、影の女 ☆ローマの王、Numa Pompiliusに助言を与えたとされるニンフ、Égérie より

expressif  表現力豊かな、表情に富む

AVC  accident vasculaire cérébral 脳卒中

môme  (スラング)若い女;子供



関連動画

Retour sur la carrière de Juliette Gréco(ジュリエット・グレコのキャリアを振り返って)

グレコのキャリアを3分で振り返っているクリップ。

3分38秒。

ジュリエット・グレコは1927年生まれなので、戦争が終わったときはまだ18歳ですね。

サルトルは、1905年生まれだから、サルトルやヴォーヴォワールから見ると、彼女は、すごく若い娘で、サンジェルマン・デ・プレのカフェに出入りしていた文化人のアイドルのような存在だったと思います。

■関連記事もどうぞ■

『枯葉』Les Feuilles mortes イブ・モンタン~歌と訳詞

歌と訳詞:プレヴェールに捧ぐ~セルジュ・ゲンズブール 前編

Les copains d’abord(仲間を先に): ジョルジュ・ブラッサンス(歌と訳詞)

サンジェルマン・デ・プレの歴史と名所

******

昔から活躍していた人が、どんどん亡くなって寂しいですね。

まあ、私が年をとったからでしょう。

ジュリエット・グレコの死因は老衰と伝えられています。大往生を遂げたと言えます。

それにしても、2015年までは現役でツアーをしていたのですね。

5年前は、87歳か88歳ですから。

元『赤い鳥』の山本潤子さんが、「昔のように声がでなくなったから」と、2014年に歌うのをやめてしまったのですが(無期限休養)、このとき、まだ65歳あたりなので、ジュリエット・グレコに比べたら、全然大丈夫なんではなかろうか、と思ったりします。

まあ、本人が一番歌いたいでしょうから、喉の調子が悪いのでしょうね。






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コメント

  • コメント (2)

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    • わた
    • 2020年 9月 30日

    PENさん、こんにちは。

    短いニュースクリップにもかかわらず、グレコの長い人生がぎゅっと盛り込まれた内容で、惹きつけられました。彼女が実存主義であったことや、哲学者であるサルトルが彼女に歌をプレゼントしたことなど、知ることができよかったです。
    母語を愛していた、なんて素敵なんでしょう。

    いつも勉強になります。

      • pen(フランス語愛好家)
      • 2020年 9月 30日

      わたさん、こんにちは。

      いつもコメントありがとうございます。
      そうですね、うまくまとまったニュースクリップだと思います。

      要所要所に歌声も入っているし。

      楽しんでいただければ何よりです。

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