旧ソ連のユーリイ・ガガーリン(1934-1968)が、人類初の宇宙旅行を成功させたのは1961年の4月。
60周年にあたる2021年は、さまざまな関連イベントが行われています。
ガガーリンについて、2分で紹介しているニュース・クリップを紹介しますね。
ユーリイ・ガガーリン
2分26秒
トランスクリプション
18秒から最後までの部分のトランスクリプションです。
Un vol pour l’histoire : 12 avril 1961, Youri Gagarine, 27 ans décolle de Baïkonour au Kazakhstan à bord de la capsule Vostok 1.
Sa mission : observer la Terre depuis l’espace et en faire le tour.
À cet instant, il dit simplement « c’est parti ! » et une fois là-haut « tiens, la Terre est bleue ».
À 250 km d’altitude, le vol est difficile : la fusée n’est pas sur la bonne orbite, les câbles destinés à mesurer la pression et la température de la combinaison de l’astronaute ont été sectionnés.
Après 108 minutes d’un voyage inoubliable, Youri Gagarine redescend sur Terre, il s’éjecte de sa capsule et atterri en parachute dans un champ où des agriculteurs ramassent des pommes de terre.
Calme, le cosmonaute leur dit alors « n’ayez pas peur, je suis soviétique comme vous. Je reviens de l’espace ».
J’ai appris la nouvelle par la radio. J’étais chez moi et dès qu’on a transmis l’information, je suis resté toute la journée près du poste pour avoir des nouvelles.
J’ai appris la nouvelle avec honneur. C’est un très grand exploit. Je suis heureux pour tout le monde.
Youri Gagarine sera accueilli sur la place Rouge, avec les honneurs, par Léonid Brejnev et Nikita Khrouchtchev.
Nous sommes en pleine guerre froide, face aux États-Unis l’Union soviétique vient de marquer un point crucial dans la course à l’espace.
Mais le retour n’est pas celui que Youri espérait. Certes il est adulé, invité dans les soirées mondaines mais on l’exhibe tel un objet de propagande soviétique.
Trop précieux pour le pays, on lui interdit même de voler.
En 1968, 7 ans à peine après son exploit, il se tue lors d’un vol d’entraînement, à bord de son avion de chasse, il a 34 ans.
Les rumeurs les plus folles circulent : du meurtre par le KGB jusqu’à un enlèvement par des extraterrestres.
Des funérailles nationales sont organisées, l’homme est inhumé au Kremlin.
60 ans plus tard la Russie n’a pas oublié son héros : un musée, une fresque, une statue géante rendent hommage à Youri Gagarine, à jamais associé à la conquête spatiale.
☆トランスクリプションの引用元⇒Actualité mondiale
ガガーリン・和訳
歴史に残る飛行:1961年の4月12日、27歳のユーリイ・ガガーリンがカザフスタンのバイコヌールから、ボストーク1号という宇宙船(カプセル)に乗って、飛び立ちました。
彼のミッションは、宇宙から地球を観察し、その周りを回ることです。
その瞬間、彼は「行きましょう!」とだけ言い、いったん上にあがったら、「ああ、地球は青い」と言いました。
高度250キロメートルの飛行は困難なものでした。ロケットは正しい軌道に乗っておらず、飛行士の着ていた服(つなぎ)の圧力や温度を測定するためのケーブルが切断されていました。
108分の忘れがたい飛行のあと、ユーリイ・ガガーリンは地球に戻り、カプセルから放出され、パラシュートで、農夫たちがじゃがいもを収穫していた畑に着地しました。
宇宙飛行士(ガガーリン)は落ち着いて、こう言いました。「怖がらないで。私はあなたたちと同じソビエト人です。宇宙から戻ってきました」。
「ラジオでニュースを知りました。家にいたので、知らせが流れてきてからずっと1日中、ラジオのそばで、ニュースを聞いていたんです」。
「ニュースを聞いて、ほこらしい気持ちになりましたよ。すばらしい偉業です。みんなのことを思うと、幸せな気分でした」。
ユーリイ・ガガーリンは、赤の広場で、レオニード・ブレジネフとニキータ・フルシチョフの大歓迎を受けました。
当時は冷戦の真っ最中で、アメリカと競っていたソ連は、宇宙開発競争で、決定的な得点を獲得したのです。
しかし、帰還後の生活は、ガガーリンが期待していたものとは違いました。
確かに、彼はもてはやされ、パーティにも招かれましたが、ソ連のプロパガンダの道具として、人目にさらされたのです。
国にとってあまりにも貴重な存在だったので、彼は飛行機に乗ることすら禁じられました。
1968年、偉業を成し遂げてからわずか7年後、戦闘機に乗って、飛行訓練しているときに、ガガーリンは亡くなりました。34才でした。
いろいろと途方もないうわさが飛び交いました。KGBに殺されたというものから、宇宙人に誘拐されたというものまで。
国葬が行われ、彼はクレムリンに埋葬されました。
60年たった今も、ロシアは国の英雄を忘れていません。
博物館、壁画、巨大な彫像が、宇宙の制覇に永遠に協力した、ユーリイ・ガガーリンに敬意を表しています。
☆pen注:ガガーリンの本来の仕事は戦闘機のパイロットですが、宇宙飛行を成功させてしばらくは、戦闘機に乗ることを国に禁じられていました。
単語メモ
un cosmonaute 宇宙飛行士
un exploit 偉業
aduler ほめちぎる、ほめそやす
mondain 社交界の
inhumer 埋葬する
à jamais 永久に
ガガーリンの宇宙飛行から60年・関連動画
Il y a 60 ans, Youri Gagarine devenait le premier homme à voler dans l’espace(60年前、ユーリイ・ガガーリンは、宇宙に飛び立った人類初の人となった)
2分49秒。
60年前の宇宙船や計器、宇宙服は、ちゃちで、まるで60年代のSF映画のようですね。
映画のほうが、現実を真似しているのかもしれませんが。
今の宇宙飛行士は、エリートという印象ですが、ガガーリンは労働階級の出身で(父親は大工)、学校を卒業後、最初は金属工になるトレーニングをしていたそうです。
しかし、とても成績が優秀で、後に、空軍士官学校に入り、宇宙飛行士にまでなりました。彼は、明るくてまじめな性格だったそうで、ニュースクリップでもにこにこしていますね。
ガガーリンは小柄(身長158センチ)だったので、小さなカプセルに乗るのに好都合でした。
高度7000メートルのところで、カプセルから、椅子ごと飛び出して、パラシュートで落ちるというかなり危険な帰り方をしていますが、今だったら、そんなことさせないでしょう。
この飛行は、いろいろと準備不足で、少なからず危険な部分があったそうです。
ただ、ソ連は、アメリカより先に宇宙への有人飛行を成功させたいと切願していたので、じっくり準備していると、先を越されてしまうため、半ば、見切り発車したような形です。
地球に戻ってきてからは、英雄として祭り上げられたので、ガガーリンは、だんだん暗い性格になっていったとか。
すばらしい偉業をしたのに、プロパガンダの道具にされて気の毒ですよね。
ですが、7年後に、もっと気の毒なことが起こります。
戦闘機の訓練中に事故で亡くなってしまうのです。ガガーリンは、宇宙に飛び立ったときに、運を使い果たしてしまったのかもしれません。
ガガーリンについてもっと知りたい方は、本が出ています。
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ガガーリンの死の真相については、いまだに本当のことがわかっていないそうです。
単純に事故死だったのかもしれません。
当時は、戦闘機の訓練にしても、宇宙船の訓練にしても、かなり危険で、常に死と隣合わせだったと思います。
訓練中に、事故が起きることもよくあり、たくさんの犠牲者が出て、そうした人の血と涙と汗が、今の宇宙開発のベースになっているのでしょう。
彼の誕生日は1934年の3月9日で、私の母(いまだ健在)より、1つ年下です。
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