パリ

フランスにまつわるあれこれ

ギロチンの歴史(後編)

ギロチンの歴史を説明している動画の後編です。

後半ではは、フランス以外の国、とくにドイツでのギロチンの使用について説明されています。



ギロチンの利用

5分43秒。

今回は、2分51秒から最後まで。

トランスクリプション

En ôtant la vie au représentant direct de Dieu sur la terre de France, la guillotine est l’outils qui va durablement instaurer l’idée de la république dans l’esprit des français.

Et à partir de là, chaque département de la République française se devra d’avoir sa propre guillotine.

C’est même à ce titre que la ville allemande de Mayence, française pendant une partie du règne de Napoléon 1er, reçoit la sienne.

Le célèbre bandit allemand Schinderhannes eut l’occasion d’en tester l’efficacité en 1803.

Mais bizarrement, cette preuve évidente de l’ingéniosité française s’exporta assez peu.

Les anglo-saxons continuant de lui préférer la banale corde.
Il n’y a guère que la Suède à l’avoir adoptée en 1910…et encore, pour un seul condamné.

Le procédé ayant été jugé suffisamment abominable pour que les suédois abolissent la peine de mort après une seule utilisation.

Quel gâchis !

Non, les seuls à avoir compris le côté pratique de l’engin sont nos amis allemands qui l’ont adoptée en la rebaptisant “fallbeil” (“hache tombante”) ou “köpfmachine” (“machine à couper les têtes”).

Au 19ème siècle, elle est utilisée un peu partout sur le territoire allemand. Adaptée dans un modèle en métal un peu plus court mais avec une lame plus lourde.

Pendant le régime nazi, l’engin fonctionne sans répit dans la prison de Plötzensee à Berlin, passant d’à peine une dizaine d’exécutions par an avant 1939 au terrible record de 1180 guillotinés pour la seule année 1943.

Le bourreau de cette prison, Johann Reichhart est resté célèbre pour son record d’exécutions : 3165 dans toute sa carrière dont 2948 à la guillotine, procédé qu’il préférait entre tous.

La République Fédérale d’Allemagne abolit l’exécution capitale 1949 et la République Démocratique en 1968.

Mais la France utilisera sa belle invention jusqu’en 1977, date de la dernière exécution, celle d’un criminel du nom de Hamina Djandoubi guillotiné à Marseille.

Au total, plus de 10 000 condamnés auront été raccourcis par la guillotine en deux siècles de bons et loyaux services.

Finissons en précisant que, contrairement à ce que beaucoup pensent, le docteur Guillotin ne fut pas guillotiné.

Il est mort en 1814, désolé de voir son nom passer à la postérité grâce au mortel engin.

On lui avait pourtant donné des surnoms plus évocateurs, par exemple : la Louisette ou alors le Rasoir National ou encore la Veuve ou la Raccourcisseuse Patriotique ou alors le Bois de Justice ou même le Moulin à Silence.”

☆トランスクリプションの引用元⇒Histoire de France : La guillotine (B1/B1+) | La Boite à FLE

ギロチン、和訳

フランスで、直接、神を代表する人間の命を奪ったので、この道具(ギロチン)は、フランス人の精神に、共和国の考えを、長期的に、植えつけていきます。

この時から、フランス共和国の県に、それぞれ、ギロチンを設置せねばならなくなりました。

ナポレオン1世が、ドイツの都市、マインツを統治していたとき、この街にもギロチンが設置されました。

ドイツの有名な強盗、シンダーハネス(Schinderhannes)は、1803年にギロチンにかけられています。

しかし、奇妙なことに、このフランスの創意工夫のあかしは、あまり輸出されませんでした。

アングロサクソンの国では、昔ながらのロープを好んだのです。

スエーデンだけが1910年にギロチンを取り入れましたが、1度使用しただけです。

ギロチンでの処刑プロセスが、残酷だというので、ギロチンを1回使ったあと、スエーデンは死刑を廃止しました。

なんてもったいない!

いや、ギロチンの実用性をわかっていた人たちがいます。我々の友人、ドイツ人です。

彼らは、ギロチンを、別の名前で呼びました。ファルバイユ(fallbeil、落ちる斧)やケプフマシーン(köpfmachine、首を落とす機械)です。

19世紀になると、ドイツ領土のほぼ全域でギロチンが使われました。刃を少し短くして、重量を増やしたものです。

ナチの統治下では、ベルリンのプレッツェンゼー(Plötzensee)刑務所で、休むことなく使われました。

1939年以前は、わずか10人ほどの処刑だったのが、1943年1年だけで、1180人がギロチンにかけられたというすさまじい記録が残っています。

この刑務所の死刑執行人は、ヨハン・ライヒハート(Johann Reichhart)で、彼は処刑した数の多さで、名を残しています。

全部で3165人を処刑し、そのうち、2948人はギロチンでの処刑です。彼は、何よりもギロチンを好みました。

西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、1949年に死刑を廃止し、東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、1968年に廃止しました。

しかし、フランスはギロチンを1977年まで使いました。最後の処刑は、マルセイユで、
アミダ・ドゥジャンドゥビという犯罪者に対して行われました。

2世紀にわたる、ギロチンの熱心で忠実な仕事により、1万人以上の罪人が首をはねられました。

最後に、世間では、「ギロチン博士は、ギロチンにかけられて死んだ」とよく言われますが、それは違うことを明言して終わります。

ギロチン博士は、1814年に、死後、自分の名前が殺人の機械のおかげで残ることを残念に思いながら、亡くなりました。

しかし、ギロチンは、それを想起させるあだ名がたくさんあります。

たとえば、ルイゼット(la Louisette)、国のかみそり(le Rasoir National )、未亡人(la Veuve)、愛国の首はね機(la Raccourcisseuse Patriotique)正義の木(le Bois de Justice)、沈黙の風車(le Moulin à Silence)などです。

単語メモ

ôter la vie à qn  ~の生命を奪う

durablement  恒久的に、持続的に、長期的に

une ingéniosité  巧妙さ、器用さ、創意工夫

sans répit  絶え間なく、休みなく

raccourcir  (罪人などの)首をはねる

évocateur  想起させる、連想させる



ヨハン・ライヒハートについて

ヨハン・ライヒハート(1893-1972)という人は、人類史上もっとも処刑した人数が多いことで知られている死刑執行人です。

仕事にたずさわっていたのは、1924年から、ドイツで死刑が廃止される1949年まで。

25年の間に3000人を処刑していますが、もっとも忙しかったのは、ヒトラーの命令による仕事をしていたときです。

彼は、ナチス党員だったので、戦後、逮捕されましたが、職務に忠実だっただけ、という理由で、無罪になりました。

その後、占領当局によって雇われ、ナチスの戦犯の処刑も、156人しています。

ドイツでの最後の処刑も彼がしています。

彼は好きで死刑執行人になったわけではなく、代々続く家業を継いだだけです。

死刑執行人は世襲制で、差別の目があるため、ほかの仕事につくことは難しかったようです。

処刑人をやめたあとの人生については、あまり知られていませんが、息子さんが自殺していて、決してハッピーだったようには思えません。

☆前編はこちら⇒ギロチンの歴史(前編)

ライヒハートが、ヒットラー時代、たくさん処刑できたのは、やはり、ギロチンという効率のいい処刑ツールがあったからでしょう。

ギロチンは、首が落ちるまで2秒ほどで、一瞬で死ぬから、苦痛が少ないわけですが、ギロチンにかけられるまでが怖いです。

ギロチンで処刑された1万人の方の冥福を祈ります。






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