パリ

フランスにまつわるあれこれ

ギロチンの歴史(前編)

フランスで1792年から1977年まで使われていたギロチンを解説している動画を紹介します。

ギロチンは、フランス革命時代に開発され、特にその頃よく利用された死刑執行のための道具です。断頭台とも呼ばれています。

ギロチンという名称は、この道具を使うことを提唱した、医師、Guillotine(ギヨタン)の名前から来ています。

日本語ではギロチンですが、ギヨチンと書いたほうがフランス語の発音に近いです。

ギロチンができるまで

5分43秒

きょうは、2分50秒まで。

トランスクリプション

Cédric Villain se penche aujourd’hui sur un objet très très français. Et d’ailleurs puisqu’il est graphiste, il l’illustre lui-même.

La peine de mort a certes été abolie en France en 1981, mais l’accessoire qui permettait au bourreau de faire son travail est resté très présent dans l’imaginaire collectif français.

Ce gros meuble un peu dangereux a un nom bien connu de par le monde : la guillotine.

Comme beaucoup le savent, la guillotine est née à la Révolution française en 1789.

C’est la date à laquelle le docteur Joseph Ignace Guillotin propose à l’Assemblée que le principe révolutionnaire d’égalité s’applique aussi à la peine capitale.

Car avant la révolution , la peine de mort prenait en France des formes très variées en fonction des régions, des délits et surtout du rang social de l’accusé.

Les nobles avaient la tête coupée, les roturiers et paysans étaient soit roués vifs, soit pendus, soit brûlés quand ils ne subissaient pas divers autres supplices.

L’idée de Guillotin était de concevoir une machine à couper les cous indifférente au fait qu’ils portent des têtes nobles ou roturières.
Pour concevoir cette machine, l’Assemblée s’adresse aux personnes les plus compétentes pour ce qui est de savoir découper un bonhomme en morceaux, à savoir l’Académie Royale de Chirurgie située à Paris de l’autre côté de la Seine.

C’est le docteur Antoine Louis, éminent chirurgien et secrétaire de l’Académie qui se charge de mettre au point l’appareil.

Il s’inspire pour cela des coupes-têtes utilisés un peu partout en Europe et conçoit un dispositif doté d’une lame qui tomberait d’une bonne hauteur sur le cou du condamné.

C’est à un artisan allemand Tobias Schmidt, facteur de clavecins installé à Paris non loin de l’Académie, qu’il confie la réalisation de la machine.

La conjonction des génies français et allemand fait merveille.

Tobias Schmidt lui donne donc sa forme définitive : Deux poteaux de chêne de 4 mètres 50 rassemblés par une traverse, une lame en biseau à 45 degrés lestée d’un poids de 30 kilos, une planche amovible permettant de faire basculer le condamné pour qu’il passe le cou dans un étrier mobile qui le maintient en place.

Le premier condamné à tester la machine est un voleur du nom de Jacques-Nicolas Pelletier exécuté le 25 avril 1792 en place de Grève à Paris.

L’engin fait impression et il est rapidement adopté par la révolution qui l’utilisera quelques milliers de fois.

Parmi les guillotinés de cette époque il y a même le plus célèbre d’entre tous : le roi de France lui-même, Louis XVI, guillotiné à l’âge de 39 ans le 21 janvier 1793 à 10 heures 22 du matin.

☆トランスクリプションの引用元⇒Histoire de France : La guillotine (B1/B1+) | La Boite à FLE

和訳

セドリック・ヴィランは、きょう、とてもフランスを思わせる物を取り上げます。

彼はイラストレーターなので、彼自身がイラストを描いています。

フランスでは確かに1981年に死刑が廃止されましたが、死刑執行人が仕事をするのに使った道具は、いまも、フランス人全員の頭の中に根強く残っています。

この、少しばかり危険で大きな装置は、世間では『ギロチン(ギヨチン)』という名で知られています。

多くの人が知っているように、ギロチンは1789年、フランス革命のとき生まれました。

医師であるジョゼフ・イニヤス・ギヨタンが、国民議会に、「平等という革命の原則は、死刑においてもて適用されるべきだ」と訴えた日です。

というのも、革命以前、フランスで行われていた死刑は、地方、罪状、とりわけ、犯罪者の社会的地位の違いによって、いろいろな方法が使われていました。

貴族は、首を切られ、平民や農民は車ざきにされるか、首吊り、火あぶり、その他、いろいろな刑罰に処せられていました。

貴族の首も平民の首も、みな平等に落とす装置を作るというのがギヨタンの考えでした。

国民議会は、人体を切ることにもっともたけている人間に、この装置を作らせることにしました。すなわち、セーヌ川の反対側にある外科のロイヤル・アカデミーに依頼したのです。

装置の開発を担当したのは、高名な外科医で、アカデミーの幹事だった医者のアントワーヌ・ルイです。

彼は、ヨーロッパ全土で使われているさまざまな首を落とす装置を参考にし、かなり高いところから、犯罪者の首に刃が落ちる装置を考えました。

装置を実際に作り上げたのは、パリのアカデミーからそんなに遠くないところに住み、ハープシコードの製作をしていたドイツ人の職人、トビアス・シュミットです。

フランスとドイツの天才の連携プレーは、とてもうまくいきました。

シュミットが、ギロチンの最終的な形を作りました。横木でつながれた4メートル50の2本のオークの柱、重さ30キロで、斜め45度の角度の刃、罪人が横たわって首を入れ、固定し処刑できる取り外しのできる板。

テストとして、ジャック・ニコラ・ペルティエという泥棒が、1792年の4月25日、パリのプラス・ド・グレーブではじめてギロチンで処刑されました。

この装置は注目をあび、すぐに、革命で、何千回も使われました。

この時代、ギロチンにかけられた人の中でもっとも有名なのは、フランス国王のルイ16世です。

ルイ16世は、1793年1月21日午前10時22分、39歳のときギロチンで処刑されました。

単語メモ

un bourreau  死刑執行人

subir  受ける

un supplice  (激しい苦痛を伴う)刑罰

mettre … au point  製品、技術などを開発する

un dispositif  装置、仕掛け

facteur  楽器製作者、特にピアノ、オルガンなどを製造する人。弦楽器を作る人は、luthier

un clavecin  チェンバロ、ハープシコード

une conjonction  結合、連携

un poteau  柱、杭(くい)

une traverse  横材、横木

en biseau  斜めに

lesté  おもりのついた

amovible  取り外しのできる

étrier  あぶみ、何かをのせるもの

faire impression  強い印象を与える、注意をひく

刃が斜めになっているのがミソで、この角度のせいで、絶対失敗しないそうです。

☆後編はこちら⇒ギロチンの歴史(後編)

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医者で議員だったギヨタン先生は、よけいな苦痛を与えず、身分や貧富にかかわりなく、平等に首を落とすことができる、人道的な死刑をするべきだ、と考えました。

彼の発案によって、効率的に首を落とすことができるギロチンが開発され、恐怖政治の時代にばんばん使われました。

効率的すぎるから、たくさんの人が首を切られてしまった、という面もあると思います。

訳しているだけで、気分が滅入りますが、当時のフランスではギロチンは、わりと人気があったようです。

公開処刑もふつうに行われていました。






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