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人生を生きる代わりに、なぜ撮影するのか?(後編)

今を生きることより、それを撮影する人のほうが多い現象について語っている動画、Filmer sa vie plutôt que de la vivre, par Raphaël Enthoven – Brut Philo 「自分の人生を生きるより、それを撮影すること:ラファエル・エントヴェン」というタイトルの動画の和訳、後編です。



Filmer sa vie plutôt que de la vivre

6分8秒。フランス語の字幕付き。

後半は、3分から最後まで。エントヴェンがナレーターの質問に答えるところから。

トランスクリプション

Et adorent qu’on les prenne en photo tandis qu’ils se livrent à des exercices de sophrologie montrant par là même qu’ils sont loin d’avoir guéri du mal dont ils veulent sortir.

Quiconque à l’habitude, avec son téléphone portable, de mettre le réel à distance peut tout à fait être celui qui, de temps en temps, pose son portable, l’éteint ou le met sur mode avion pour soudain renouer avec la vie vraiment vécue dans des exercices dont c’est l’unique raison d’être.

Dans le cas des des images, dans le cas des selfies, dans le cas de l’utilisation que nous faisons de nos smartphones, la philosophie permet de comprendre que le sens de la vue, c’est celui qui suppose d’être à distance, et qui donc nous éloigne du monde, tout en nous donnant la capacité de le regarder dans son ensemble.

Et qu’en somme, un appareil photo, ou un smartphone, un smartphone ne fonctionne pas autrement.

Il nous donne le sentiment de capturer quelque chose, alors que c’est précisément le moment où on ne la touche pas.

Montaigne dans les Essais, à la toute fin des Essais, le dernier chapitre, résume en une formule toute la sagesse dont il est capable.

C’est l’homme le plus sage de tous les temps, Montagne.

Et bien, toute sa sagesse tient en deux tautologies.

«Quand je danse, je danse et quand je dors, je dors.»

Autrement dit, je suis tout à moi-même quand j’agis.

Et c’est exactement ce qu’on ne fait pas quand, alors qu’on va avoir un match de basket, on préfère filmer le panier plutôt que le regarder et l’applaudir.

Il est plus difficile dans la vie de vivre les choses que de se filmer en train de les vivre.

La vraie difficulté dans la vie, c’est l’étonnante simplicité qu’il faut avoir pour vivre ce qu’on vit, pour danser quand on danse, pour dormir quand on dort, pour réfléchir quand on pense, etc.

C’est-à-dire pour être le contemporain de soi-même.

Et le grand paradoxe, c’est que pour être le contemporain de soi-même, il ne faut pas se regarder soi-même.

Si vous vous regardez faire, si vous vous demandez ce que vous êtes en train de faire, vous perdez la main sur ce que vous faites.

En fait, l’expression clé pour qualifier celui qui est capable de ne pas se regarder faire au moment où il fait, c’est la nescience de soi.

C’est le contraire de la conscience de soi.

La conscience de soi, c’est le pianiste qui se dit : «Qu’est-ce que je suis en train de faire, là ?»

C’est le virtuose qui, du coup, fait une fausse note parce qu’il se regarde.

C’est le funambule qui tombe, parce qu’il se demande ce qu’il est en train de faire sur son fil entre deux immeubles.

La conscience de soi, c’est l’érection qui disparaît parce qu’on se demande si elle va tenir, c’est…

Tout ce qui est de l’ordre de la conscience de soi est un handicap à l’action, alors que, ce que Saint-Augustin appelle, et Vladimir Jankélévitch après lui, la nescience de soi, c’est-à-dire l’oubli du moi dans l’action, c’est aussi ce qui nous permet d’agir.

La nescience de soi, c’est le fait de ne pas se regarder faire, c’est le fait d’être tout entier à ce que nous faisons plutôt qu’à la personne de celui qui fait.

人生を撮影する:後半の和訳

そしてそうう人たちは、自分たちがソフロロジーのエクササイズに没頭しているところを写真に撮られるのが好きで、抜け出したいと思っている悪から解放されることとは程遠いところにあることを見せています。

スマホを使って現実を遠ざける習慣がある人は、完全に自分自身になることがあります。時々ね。スマホを置いたり、電源を切ったり、機内モードにしたりして突然自分の本当の人生とつながるんです。それが唯一の存在意義であるかのように練習をする人生です。

画像、セルフィー、私たちのスマホの使い方を通して、哲学は、視覚とは何か教えてくれます。つまり、視覚は、遠くにあるはずのもので、私たちを世界から遠ざけるものです。だからこそ、私たちは世界を全体として見ることができます。

つまりカメラやスマホ、スマホはこのこと以外では機能しません。

カメラは、何かを捉える感覚を与えてくれます。まさしく、人がそれを捉えていない瞬間に。

モンテーニュは「エセー」で、エセーの一番おしまいの最終章で、彼の持てる知性のすべてを1つの文にまとめています。

彼は歴史上、もっとも賢い人です。モンテーニュは。

彼の知性のすべては、2つのトートロジーで表されています。

「私が踊るときは踊り、寝る時は寝るのだ」。

言い換えれば、行動しているとき、自分は完全に自分自身なのです。

そして、まさしくこれが、私たちがしていないことです。バスケットの試合をするときに、それを見て拍手するかわりに、バスケットの撮影をしているときに。

人生において、何かを生きている最中は、それを撮影することより、実際に生きるほうがずっと大変です。

人生の本当の難しさとは、今していることをを生きなければならないという、驚くほど単純なことです。

つまり、踊るときは踊り、寝るときは寝て、考えるときは考えるなど。

要するに、自分自身と同じ時代を生きること。

そして、大きな矛盾は自分自身と同時代を生きるためには、自分自身を見てはならないということです。

自分がしていることを見たり、今、自分が何をしているのか疑問に思うと、自分がしていることを制御できなくなります。

実際、何かをしている最中にそれを見ないでいられる資質を表す表現は、「自分について知らない」ということです。

自己認識とは反対の状態です。

自分に気づいているというのは、ピアニストが、「今、ここで私は何をしているのだろう」と問うこと。

自分を見てしまったので、名人は突然、ミスタッチをします。

綱渡り芸人は落ちます。建物の間の線の上を歩いている最中に何をしているのか考えると。

自分に対する意識とは、勃起がもつかなと思っていると消えてしまうこと。

自分について意識を向けることはほぼすべて、行動のハンディキャップとなります。

サン・オーギュスタンや、後にウラジーミル・ジャンケレヴィッチが言った、自分について知らないこと、つまり行動している最中の自分を忘れることが、行動を可能にしてくれるのです。

自分に対して意識がないことは、自分がしていることを見ていないということであり、それをやっている人間にではなく、やっていることと一体化することなのです。



単語メモ

se livrer à  ~に身(心)をゆだねる

guéri de (悪癖、欠点から)解放された

tout à fait  全く、完全に

tautologie  トートロジー 類語の反復

nescience  無知、無学

funambule  綱渡り芸人

de l’ordre de+数詞 で、およそ~の という意味があるので、ここは数詞は続いていませんが、そういうのはほぼ全部、というふうに訳しました。

哲学なので、むずかしげな言い回しが多いのですが、要するに、何かを見たり、それを写真に撮ったりする行為は、対象から離れないとできないので、スポーツの試合やコンサート中に写真をとるのは、その現実と離れること、つまりそれを生きることではない、ということです。

後半は、人生を本当に生きるためには、今やっていることだけをやらなければならない。やっていることに対して、「今、何をやっているのかな?」などと考えてしまうと、ちゃんとやることができない、つまり、人生を生きることができないという説明です。

☆前編はこちら⇒人生を生きるかわりに、なぜ撮影するのか?(前編)

*****

何かをやっているとき、ふと、自分を見てしまうことがありますよね。

何かをやっている最中(ゾーンに入っているとき)には自分がやっていることについて考えないほうがミスをしません。

でも、何かをやり終わったあとに、やったことに関して、振り返るのはいいことだと思います。






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