フランスの「ひまわりのプール(Les piscines tournesol)」について説明している3分の動画を紹介します。
タイトルは、Les piscines tournesol ARTEの Karambolage のシリーズのひとつです。
1960年代後半、フランス政府は国民の水泳能力向上を目指し、「1000のプール作戦」を開始しました。この計画の一環として作られたのが、ひまわりのプールです。
Les piscines tournesol
フランス語の字幕あり(一字一句同じではありません)
3分。
トランスクリプション
Moi, la fille pas sportive pour un sou, je me suis découvert récemment une passion : la natation. À 35 ans, il était temps. Deux fois par semaine, je vais donc nager à la piscine à côté de chez moi.
C’est un grand dôme blanc percé de hublots en plexiglas. À l’intérieur, les vestiaires sont vieillots et les peintures défraîchies. Des cris d’enfants résonnent, on sent les courants d’air dans les douches… Et pourtant, j’adore cet endroit. Peut-être pour son côté un peu vintage.
À force de m’entendre en parler avec enthousiasme, une amie décide un jour de m’accompagner. Une fois devant, elle s’écrie : « Ah ! C’est une piscine Tournesol ! Il y avait la même chez mes parents. » Tournesol ? Ma piscine ressemble plus à un vaisseau spatial en plastique qu’à une jolie fleur des champs. Pourtant, ce nom est parfaitement logique. Et vous allez comprendre pourquoi.
Nous sommes en 1968. Aux Jeux Olympiques, l’Équipe de France de natation s’humilie en ne rapportant qu’une seule médaille en bronze. Colère du Général de Gaulle, le Président de l’époque. L’été suivant, pendant les vacances, des dizaines d’enfants meurent noyés. Le pays est traumatisé. Au sommet de l’État, on réalise que les Français ne savent pas nager. Pour rattraper ce retard, il faut construire des piscines, et vite.
C’est le début de l’opération « Mille piscines ». L’État appelle les architectes à plancher sur un projet bien précis : il faut une construction centralisée, rapide, pas chère, pour des bassins qui peuvent s’ouvrir sur l’extérieur en été. Pour faciliter les choses, c’est l’État, toujours lui, qui centralise la paperasse et assure le suivi des travaux. Bienvenus dans la France des Trente Glorieuses !
L’architecte qui remporte le concours propose une piscine en forme de dôme. Son toit coulisse en partie pour que les nageurs puissent profiter du soleil en été. D’où son nom, Tournesol, comme la fleur qui suit la trajectoire du soleil. Comme il faut construire vite, il propose de faire fabriquer la majorité des composants en usine. Bref, une piscine préfabriquée, composée de beaucoup, beaucoup de plastique. À l’époque, on est au top de la modernité.
La première piscine Tournesol est construite en 1972, à Nangis, en Seine-et-Marne. Il y en aura 183 dans le pays, dans des villes petites et moyennes le plus souvent. En parallèle, d’autres piscines sont construites sur le même modèle industriel, portant elles aussi des noms un peu kitsch comme Caneton, Iris ou Plein Ciel.
En tout, l’État fait bâtir près de 600 piscines en France, en l’espace de dix ans. D’accord, ça ne fait pas mille mais à l’époque, c’est une vraie avancée pour développer l’apprentissage de la natation. Et pour chaque commune, c’est une grande fierté de disposer d’un équipement comme celui-là. Certaines les ont même affichées sur leurs cartes postales.
Hélas, avec le temps, les piscines Tournesol ont mal vieilli. Certaines ont été rénovées mais pour de nombreuses villes, il était plus simple et moins cher de les détruire. Quelques-unes sont encore sur pied malgré tout. La mienne est toujours là. Derrière son côté kitsch et déglingué, elle témoigne d’une époque révolue. Et ça, c’est inestimable.
ひまわりのプール・和訳
全然スポーツに向いていない私ですが、最近大好きなことを見つけました。水泳です。
35歳にして、時が到来しました。
週に2回、家の近くのプールに泳ぎに行きます。
それは、プレキシガラスの丸い窓がある大きな白いドームです。
内部は、更衣室が古く、ペンキが色あせています。子供たちの叫び声が響き、シャワールームで隙間風を感じます。
それでも、私はこの場所が大好きです。おそらく、少しレトロな雰囲気があるからでしょう。
私が熱心に話すのを聞いて、ある日、友人が一緒に行くことにしました。
中に入ると、彼女は叫びました。「あ! これはトゥルヌソル・プールだわ! 私の実家の近くにも同じものがあったわ。」
トゥルヌソル? 私のプールは、きれいな野の花より、プラスチック製の宇宙船に似ています。
しかし、この名前は完全に理にかなっています。その理由をお伝えします。
1968年のことです。オリンピックで、フランス水泳チームは銅メダルを1つしか獲得できず、屈辱を味わいました。
当時の大統領、シャルル・ド・ゴールは怒りました。
その翌年の夏、バカンス中に数十人の子供たちが溺れて亡くなりました。国中がショックを受けました。
政府の上層部は、フランス人が泳げないことに気づきました。この遅れを取り戻すために、急いでプールを建設する必要がありました。
これが「1000のプール作戦」の始まりです。
国は建築家たちに非常に具体的なプロジェクトを依頼しました。
中央集権的で、迅速で、安価な建設で、夏には外に向けて開放できるプールを作ることです。
物事を簡単にするため、国が書類手続きを一元化し、工事の進捗を管理します。いざ、フランスの栄光の30年へ
コンクールに勝った建築家は、ドーム型のプールを提案しました。
屋根の一部が開閉式になっており、夏には泳ぐ人々が日光を楽しめるようになっています。
そこから、太陽の軌道に従う花にちなんで、トゥルヌソル(ヒマワリ)という名前がつけられました。
迅速に建設する必要があったため、彼は部品の大部分を工場で製造することを提案しました。
つまり、プレハブのプールで、大量のプラスチックで構成されています。当時としては、近代的で最先端です。
最初のトゥルヌソル・プールは1972年に、セーヌ=エ=マルヌ県のナンジスに建設されました。
その後、国内には183のプールが、主に小中規模の都市に作られました。
同時に、同じ工業的モデルに基づいて他のプールも建設されましたが、カヌトン、イリス、プラン・シエルといった、少しキッチュな名前がつけられました。
全部で国は10年間で約600のプールをフランスに建設しました。
確かに、1000もありませんが、当時としては水泳学習を発展させるための真の進歩でした。
そして、各自治体にとって、このような施設を持つことは大きな誇りでした。絵はがきにプールを載せた自治体もありました。
残念ながら、時間とともに、トゥルヌソル・プールは老朽化してしまいました。
一部は改修されましたが、多くの都市にとっては、取り壊す方が簡単で安上がりでした。
それでも、いくつかはまだ残っています。
私のプールもまだそこにあります。キッチュでぼろぼろの姿の裏に、過ぎ去った時代の証言があるのです。
そして、それは計り知れない価値があります。
単語メモ
pas pour un sou まったく~ない
Il n’est pas jaloux pour un sou. 彼はまったく人をうらやんだりしない人だ。
hublot 円窓、(船の)舷窓
vestiaire 更衣室、ロッカールーム
vieillot 古ぼけた、古めかしい
défraîchi 色褪せた
à force de 大いに~したので
être sur pied 立っている
déglinguer ばらばらにする、がたがたにする
révolue (時が)過ぎ去った
inestimable 計り知れない
栄光の30年(Trente Glorieuses)
Trente Glorieuses(トラント・グロリューズ)は、フランスの1945年から1975年までの約30年間を指し、戦後の急成長と繁栄の時代として知られています。
この言葉は経済学者ジャン・フルースティエが広めたもので、日本語では「栄光の30年」や「輝かしい30年」と訳されます。
この時期、フランスは急速な経済成長と社会変革を遂げ、生活水準が大幅に向上しました。
1970年代初頭までは経済的な繁栄が続きましたが、1973年のオイルショックを契機に経済成長が停滞し、失業率も上昇しました。
日本における、「高度経済成長期」みたいなものです。
日本の場合、1950年代から1970年代にかけて年平均10%近い成長を続け、特に製造業や輸出産業が大きく発展しました。日本も、オイルショックがきっかけで、低成長期に入ります。
日本とフランスの経済発展の違いとしては、日本は輸出に依存していたのに対し、フランスは国内消費や公共事業への投資が大きな役割を果たしたことです。
日本の成長要因は、民間企業の競争力で、特に製造業が主役となったのに対し、フランスでは国家主導の産業戦略が強く、国有企業が多くの役割を担っていました。
ひまわりプールの動画でも、「中央集権的」と言っていますが、少し前に紹介したオスマンの都市開発同様、フランスは国が強引に進める面がありますね。
こちらは、Trente Glorieuses(トラント・グロリューズ)を6分半で紹介している動画です。
Les Trente Glorieuses en France 1945-1975
終戦直後は、フランスもかなり荒廃し、貧しかったことがわかります。
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フランス人は日本人よりずっと個人主義だと思いますが、都市開発や経済政策は、政府が主導して中央集権的に進めるのがおもしろいですね。
まあ、それだけ強いリーダーが生まれる土壌があるのかもしれません。
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