フランスのロマン派の詩人、劇作家のアルフレッド・ド・ミュッセの言葉を紹介します。
彼は恋愛の名言ばかり残しているわけではありません。きょうは人間というものに関する名言です。
Chacun a ses lunettes ; mais personne ne sait au juste de quelle couleur en sont les verres.
– Alfred Louis Charles de Musset(1810-1857) –
誰もがそれぞれのめがねをかけている。しかし、そのめがねのレンズがどんな色なのか、ちゃんと知っている者はいない。
- アルフレッド・ド・ミュッセ -
誰もがそれぞれのめがねをかけている。しかし、そのめがねがどんな色なのか正しく知っている者はいない。
誰もがめがねをかけている・・・。このめがねとはもちろん比喩で、物の見方のことですね。
物の見方は、価値観、考え方、判断の基準、モラル、信条といったものにも言い換えることができるでしょう。
自分の身の回りの現象を判断したり、反応するときの理由とも言えます。
眼鏡のレンズの色は、自分の反応のパターンと言ってもいいでしょうか?
ここに100人の人がいたら、ある現象に対する反応も100種類あるのでしょうね。「みんな無意識に反応してしまい、自分がなぜそういうリアクションを起こすのかわかっていない」、とミュッセは言いたいのではないでしょうか?
すなわち、「人っていうのは、人生をきわめて自動的に、あるいは受動的に生きているんだよ」、ということです。
ミュッセの経歴についてはこちらの記事に書いています⇒名言その8~人生は人を愛してこそ
よくわかる!フランス語の文法解説
単語の意味
chacun それぞれ、各々 ★この単語に複数形はありません。
a < avoir 持っている
ses 彼の、彼女の
lunettes めがね
mais でも
personne (否定の ne と一緒に)誰も~ない
Personne ne le sait.
誰もそれを知らない。
Le temps n’attend personne.
歳月人を待たず。
sait < savoir 知っている、わかっている
au juste 正確には、実のところは
Je ne sais pas au juste combien cela coûte.
値段がいくらなのか正確にはわからない。
de quelle couleur どんな色か
en 中性代名詞のen ここでは、めがねのこと(des lunettes)
enについてはこちらをごらんください。
⇒「まいにちフランス語」29:L51 中性代名詞 en と y
sont < être ~である
les 定冠詞の複数形
verres メガネのレンズ
直訳
誰もが自分たちのめがねをかけている。しかし、そのメガネのレンズの色を正しく知っている者はいない。
ミュッセのめがねはコヴィー博士のパラダイム
私は最近、毎日のように『7つの習慣』という本を読んでいるので、このミュッセの名言を見たとき、まっさきに著者の、コヴィー博士の言う「パラダイム」という言葉を思い出しました。
「パラダイム」というのは、人が物事を理解するとき、無意識に適用している考え方や価値観のことです。
これはミュッセのいうめがねだのレンズの色ですね。
コヴィー博士は自分がこうしたパラダイムを持っていることに気づき、ほかの考え方(たとえば、他人の意見や、立場など)の存在や意義について考えなさい、と言います。
そして必要に応じて、パラダイムを変えていくことが大切だと。
ミュッセはこうしたパラダイムの存在に、ちゃんと気づいていたのですね。
日本語にも「色眼鏡」という言葉があります。「色眼鏡で人を見る」とは、先入観にとらわれたり、偏見をもって相手のことを判断すること。
私は子どものころ、夕食のデザートに出たりんご(大皿に全員の分がのっていた)を弟の分まで食べた、と親に非難されたことがありました。
自分の分しか食べていなかったので、「私、食べてない!」と嫌疑をはらそうとしたのですが、日頃の行ないが悪かったのか、全く信じてもらえませんでした。
その夜、泣きながら日記に「みんな、私のことを色めがねで見た」と書いたことを、今でも覚えています。相当くやしかったようです。
それでは、次回の名言の回をお楽しみに。
この記事へのコメントはありません。