印象派を代表する画家、モネの「睡蓮(すいれん)」がオランジュリー美術館に収められた経緯や、展示方法などを解説している3分の動画を紹介します。
説明しているのは、オランジュリー美術館の学芸員(conservateur)のセシルさんです。
ざっと和訳をつけますので、ディクテなどにご利用ください。
L’histoire des Nymphéas 睡蓮の歴史
ジヴェルニーの池から始まった睡蓮の絵
オランジュリー美術館の「睡蓮」の歴史は、実は、ノルマンディーで始まりました。
モネは、ジヴェルニーに土地を買いました。ここには庭があり、この庭の中に、モネは池を作り、水生植物を植え、その後30年間、自分の作品のモチーフにしようとしたのです。
1914年、第一次世界大戦が始まったとき、同時に、モネが息子を亡くしたとき、彼は取りつかれたように制作に打ち込み、大きなスイレンの絵を描く、当初のプロジェクトに立ち戻りました。
1915年、モネは天井の高い、自然光の差し込むアトリエを作りました。彼の大作を飾ることを想定していたのです。
1918年11月11日、第一次世界大戦が終わったとき、モネは自分の作品のうち2つを寄贈することにしました。翌日の11月12日に、友人のジョルジュ・クレマンソーに、こう手紙を書いています。
「勝利の日に私が署名せんとする2つの作品を贈ります」。
睡蓮は、モネが国に、平和の印として送ったものだったのです。
睡蓮のために用意された展示室
この大作は、ビロン邸(hôtel Biron)、現在のロダン美術館に飾られる予定でしたが、結局、オランジュリー美術館が受け取ることになりました。
寄贈が決まってから、政府はモネの作品を収める施設の準備に着手し、建築家のカミーユ・ルフェーブルに助けを求めました。ルフェーブルは、モネとひじょうに密に連絡を取りながら、2つの展示室を設計しました。
ある円形の部屋から、楕円形の部屋へ進み、次に2つ目の部屋に入ります。この2つの楕円形の展示室は、2つ合わせると、数学で無限を意味する形になります。
この展示室の構成も特別で、それぞれの壁面にある絵が、1日のうちの違う時間、日の出から日没までを表しています。
建物は東西に向いているので、時間の流れを感じることができます。すなわち、2つ目の睡蓮の展示室では、太陽が上り、1つめの展示室では、太陽が沈むのです。このように、時間の経過が作品に及ぼすのを見ることができます。
モネのすばらしい作品を損なわず保存するために、定期的に、文化遺産の修復家にほこりを取ってもらうようにしています。
トランスクリプトはこちらを参考にしました⇒Claude Monet’s “Water Lilies” – Kwiziq French Language Learning Blog レベル的にはB1だそうです。
単語メモ
nymphéas スイレン 発音をカタカナで書くと「ナンフェア」 ☆当記事のパーマリンクはスペルミスしてます(Hが抜けてる)。
propriété 所有物、所有地、不動産、大邸宅
Giverny ジヴェルニー(ランス、ノルマンディー地域圏、ウール県のコミューン)
peupler (ある場所に) 植林する
constituer ~となる
zénithale 天頂の
préfigurer あらかじめ示す、の前兆となる
préfiguration 予示
issue 出口、解決策、結末
aménager [部屋、施設、土地、河川など]を整える、整備する
faire appel à ~に訴える、助けを求める
étroit 固く結んだ、緊密な
lien étroit de l’amitié 友情の固い絆
continuum 連続体
évoluer 段階を追って変化する
préventif 予防の、防止する
inoculation préventive 予防接種
procéder à (複雑な作業・法律上の行為などを)行う、実施する、すすめる
dépoussiérage 塵埃(じんあい)の除去、掃除
restaurateur, restauratrice (芸術作品などの)修復技術家
セシルさんは、ゆっくりしゃべっていますが、微妙に単語が難しい(抽象的な単語が多い)のと、文章が長いのが、難易度をあげています。
モネや睡蓮について予備知識のある人は、大丈夫かもしれませんが。
モネと睡蓮
モネ(1840-1926)は1909年(69歳のころ)に、睡蓮の絵だけで、部屋をいっぱいにすることを思いつき制作を開始。
その前から、彼は睡蓮の絵は大量に描いていましたが、もっと追求したいと思ったのでしょう。
しかし、視力が衰えて、うまく描けないし、息子や奥さんが亡くなったし、印象派の友だちもどんどん死んでしまって気持ちが落ち込み、いったんは制作を断念しました。
その後、動画で話されているように、第一次世界大戦が始まった年に、天井の高いアトリエを作り、睡蓮の大きな絵に再度取り組み始めました。
そのうちの2枚を、政府に寄贈することにしましたが、友だちのクレマンソーが大統領選で負けたり、お金がなくなってきたり、白内障のため目も見えなかったりで、またまた制作を断念しそうになりました。
クレマンソーに励まされ、さらにモネは、白内障の手術を受け、多少目の状態がよくなったので、また制作を開始し、結局大きな睡蓮の絵(大装飾画)を描くことができました。
こうしてできあがったモネの晩年の傑作がオランジュリーの睡蓮用の展示室に飾ってあるのです。
オランジュリー美術館について
オランジュリー美術館は、フランス語で Musée de l’Orangerie です。
orangerie は オレンジ用の温室のことで、オランジュリー美術館の前身も、テュイルリー宮殿内に作られたオレンジの温室でした。
1927年、モネの睡蓮を展示するために、温室が改造され美術館となりました。
そのあたりのことは動画で説明されています。
こちらは英語でオランジュリー美術館のモネの睡蓮を説明している動画です。
3分20秒
睡蓮の制作のポイントは、1日のうちで、時間によって、太陽の光がどんなふうに池の表情を変えるか、というところにあったようです。
だからモネは、光がたっぷり差し込む明るい部屋に睡蓮の大装飾画を起きたいと願い、そのような部屋をカミーユ・ルフェーブルと一緒に作ったわけです。
モネは1926年、86歳で亡くなりますが、オランジュリー美術館が完成したのは、その翌年です。
この頃、キュビズムなどの新しいムーブメントが人気で、モネの大装飾画はろくに注目をあびませんでした。しかし、1950年代以降、再評価され、今はたくさんの人が、睡蓮を見に、オランジュリー美術館を訪れています。
オランジュリー美術館のホームページ⇒Claude Monet’s Water Lilies | Musée de l’Orangerie
なお、最初に紹介した動画のバックで流れているのは、ドビュッシーの rêverie(レヴリ)という曲です。rêverieは、夢想・空想という意味です。
ドビュッシーについて⇒ドビュッシーの生涯~前編
美術館関連の単語⇒美術館にある物~かわいいフランス語教えます(91)
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芸術の秋、ということで美術の話題を取り上げました。
モネの誕生日は1840年の11月14日なので、きのうアップしたかったのですが、叶わず。
晩年のモネが、力を振り絞って作り上げた大作には胸を打つものがありますね。
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