印象派の女流画家、ベルト・モリゾ(1841-1895)の「ゆりかご」という作品を取り上げた2分半の動画を紹介します。
タイトルは
Quèsaco – « Le berceau », 1872 – Berthe Morisot 「ゆりかご」1872年、ベルト・モリゾ
Quèsaco は番組の名前です。
Le berceau
2分30秒。
トランスクリプション
Qu’est-ce que c’est ?
C’est bizarre…
Un bébé qui dort et sa mère elle le regarde…
La nounou est bloquée dans les transports ?
Mais non !
Imaginez le tableau : on est en 1872. Les Français découvrent le service militaire moderne obligatoire, on lit Alice à travers le miroir de Lewis Caroll, Georges Bizet compose L’Arlésienne.
Bref, on parle de femmes, mais l’action, c’est pour les hommes.
Berthe Morisot n’est pas d’accord.
À 31 ans, avec son caractère volcanique, elle est bien décidée à prouver que la peinture n’est pas qu’une affaire d’hommes.
Et pour ça, il faut montrer ce qu’on sait faire.
Regardez bien : une gaze toute transparente, des bras qui se répondent, des mèches très détaillées et un regard plein de tendresse et de gravité.
Pas de doute, Berthe Morisot maîtrise son sujet.
Cette Madone fait écho de façon très moderne aux nombreuses Vierges à l’enfant.
Ici, pas de Sainte Marie, mais la propre sœur de l’artiste, Edma et son bébé, dans une scène du quotidien.
Derrière la tendresse maternelle se dessine aussi le destin de la femme du XIXe siècle, enfermée dans son rôle domestique comme Edma dans les diagonales de cette toile.
Berthe Morisot sait qu’elle n’aura pas le destin de ses pairs masculins, malgré sa volonté farouche.
L’École des Beaux-Arts est d’ailleurs interdite aux femmes.
Pourtant, la finesse du voile, le détail des doigts qui le retiennent, l’apaisement du visage de l’enfant, tout montre à quel point les leçons particulières du peintre Camille Corot ont été profitables.
Et pourtant, c’est plus souvent en tant que modèle de son beau-frère Édouard Manet que l’on connaît Berthe Morisot.
Le tableau est peu remarqué lors de l’exposition impressionniste de 1874 ; Berthe Morisot est la seule femme à y exposer.
Après sa mort prématurée, son œuvre est peu considérée.
Adieu Berthe !
On redécouvrira cette artiste sensible, tempétueuse et prolifique à la fin du XXe siècle.
Il était temps…
Le Berceau est acquis par les Musées nationaux en 1930. Il rejoint le musée d’Orsay dès son ouverture en 1986.
☆トランスクリプションの引用元⇒Art et FLE : s'exprimer sur la condition féminine à travers un tableau avec Le Berceau de Berthe Morisot | Enseigner le français avec TV5MONDE
「ゆりかご」・和訳
これは何?
奇妙だ。
眠っている赤ちゃんと、その子を見つめるお母さん。
ベビーシッターは、渋滞にあって来られない?
いいえ、違います。
考えてもみてください。この絵は1872年。
フランスでは、近代の兵役が義務となり、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」が読まれ、ジョルジュ・ビゼーは、「アルルの女」を作曲しました。
つまり、女性の話をしてはいても、実際は、それは男性のためのものだったのです。
ベルト・モリゾはこれに反対しました。
火山のような性格をもつ彼女は、31歳で、絵画が男性のためだけのものではないことを証明すると決意していました。
そのためには、自分ができることを示さねばなりません。
よく見てください。
透明のガーゼ、互いに応え合う腕、とても細かいほつれ毛、おごそかで優しさに満ちたまなざし。
疑いなく、ベルト・モリゾは主題を熟知していました。
この聖母は、とても現代的な手法で、あまたある聖母子像を映し出しています。
ここでは、聖母マリアではなく、画家の実の妹のエドマとその赤ん坊が、日常の風景の中にいます。
母性の優しさを描く裏で、19世紀の女性の運命も描かれています。この絵の対角線の中にあるエドマのように、女性は家庭的な役割に閉じ込められていたのです。
ベルト・モリゾは、強固な決意にもかかわらず、自分が仲間の男性画家のような運命をたどることはないとわかっていました。
エコール・デ・ボザール(パリ国立高等美術学校)は、女性の入学を認めていませんでした。
しかし、ヴェールの繊細さ、それを押さえている指のディテール、子供の穏やかな表情は、画家のカミーユ・コローの個人レッスンが、いかに有益であったか物語っています。
それなのに、ベルト・モリゾは、彼女の義理の兄であったエドゥアール・マネのモデルとして、より知られているのです。
1874年の印象派の展覧会では、この絵はほとんど注目されませんでした。ベルト・モリゾは唯一の女性の出品者でした。
早すぎる死のあとも、彼女の作品はほとんど評価されませんでした。
さようなら、ベルト!
20世紀の終わりに、この感覚に富み、激しく、多作な画家が再発見されました。
その時が来たのです。
「ゆりかご」は、1930年に国立美術館に収蔵され、1986年、オルセー美術館が開館したとき、この美術館に加わりました。
単語メモ
farouche 御し難い、強固な
Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875) ジャン・バプティスト・カミーユ・コロー、フランスのバルビゾン派の風景画家。
ベルトは、妹のエドマと一緒にコローに絵を習っていました。後に、エドマは結婚して子供ができたとき、画家になる道をあきらめました。
Édouard Manet エドゥアール・マネ 印象派を代表する画家。
ベルト・モリゾはマネに絵を学びながら、モデル役もよくしていました。マネの恋人ではないかという噂もありましたが、モリゾは、マネの弟と結婚しました。
ベルト・モリゾ・関連動画
Berthe Morisot, l’indépendante ベルト・モリゾ、独立心の強い人
彼女の作品がたくさん出てきます。モリゾは54歳で亡くなっているので、本当に多作だったんですね。
当時、プロとして絵を描く女流画家はとても珍しかったようです。
火のような強い性格の持ち主でないと、描き続けられなかったのかもしれません。
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今回紹介した動画によれば、ベルト・モリゾは、気性が激しかったそうですが、画風はやさしいですね。印象派だから、みんなやさしい感じに見えるのかもしれないけれど。
もう少し遅く生まれていたら、ベルト・モリゾは、絵のモデルやマネの義理妹としてでなく、1人の画家として知られていたでしょう。
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