2017年7月19日フランスで封切りになり、人気を集めている映画「ダンケルク」。この映画は、第二次世界大戦で起きた「ダンケルクの戦い」を描いています。
きょうは、フランスの子供新聞、1jour1actu が、映画の公開に合わせてアップした「ダンケルクの戦い」を説明する記事を紹介します。
ダンケルクというフランスの港湾都市で起きたこの戦いはイギリスではとても有名です。しかし、フランスではそれほど知られていないそうです。たぶん日本でもあまり知られていないでしょう。
第二次世界大戦:ダンケルクの戦いで何が起こったのか?
Seconde Guerre mondiale : Que s’est-il passé durant la bataille de Dunkerque ?
映画館では1週間前から、「ダンケルク」が大人気です。この映画は、大人向けで、「ダイナモ作戦」の話を語っています。第二次世界大戦で起きた重要なできごとですが、フランスではあまり知られていません。
映画「ダンケルク」は第二次世界大戦(1939-1945)初めに起きた、大勢の兵士(ほとんどが英国人)の救出を描いています。本当にあまり知られていない話なのですが、この戦争の研究者は、戦局を決定づけた戦いの1つとみなしています。
なぜダンケルクの戦いが起きたのか?
1940年、ナチス・ドイツは西ヨーロッパのいくつかの国と戦争をしていました。とても軍事力の強いドイツに対して、イギリス、フランス、ベルギー等の兵士が招集されました。
これを「連合軍」« les Alliés » と呼びます。
1940年の5月、ドイツ軍はベルギー、オランダ、ルクセンブルクに侵攻。フランスの領土もたくさん征服しました。
ドイツ軍は、連合軍の兵士を追い詰め、その結果、ダンケルクの海岸に40万人近くの兵士が包囲されました。ダンケルクはフランス北部の街で、英国からわずか60キロのところにあります。
これがダンケルクの戦いの始まりです。
L’ « opération Dynamo » : un immense sauvetage de soldats ダイナモ作戦 :大々的な兵士の救出
その時、英国人は「ダイナモ作戦」と呼ばれる大々的な救出作戦に出ました。
その目的とは?
できるだけ大勢の兵士を英国に連れ戻すことです。はじめは、この作戦は失敗だと伝えられました。というのも、ドイツ軍には2倍の人数の兵士がいたからです。
1940年の5月21日から6月4日までのあいだに、英国海軍はありったけの船を送り込み、兵士の救出を試みました。
この作戦では、民間人も活躍しています。370の船(漁船、ボート、ヨットなど)が英国海軍の戦艦とともに救出に向かいました。
De l’acte héroïque au scénario idéal 果敢な行動が理想的なシナリオに
9日間の間に、35万人の兵士が船によって英国に戻りました。ドイツ軍がダンケルクを完全に占領する前にです。
すばらしい快挙です。同時にこのことは、決定的なターニングポイントとなりました。
ダンケルクから救出された大部分の兵士がほかの戦争を戦い、5年後、第二次世界大戦で、連合軍がドイツ軍に対して勝利をおさめることができたのです。
ダイナモ作戦は、映画にするのに理想的なエピソードです。勇気と団結がドイツ軍に勝利したのですから。監督が、映画にしようと思ったのも驚くにはあたりませんね。
単語メモ
bataille 戦い
sauvetage 救助、救命
méconnu 世に埋もれた
mobiliser (軍隊を)動員する、(兵を)招集する
envahir 侵入する、侵略する envahisseur 侵略者(ここでドイツ軍のこと)
parvenir à (努力して)到達する、たどり着く
ramener 連れ戻す
s’emparer 奪う、占領する
exploit 偉業、快挙
tournant 転機、分岐点
remporter 勝ち取る
venir à ~に達する、至る
Il est étonnant que + subj. ~は驚くべきことだ
Pas étonnant que le réalisateur ait eu l’idée de l’adapter au cinéma の ait eu は 接続法過去
ダンケルク Dunkerque について
ダンケルクはフランス北部の、ドーバー海峡に面する港湾都市です。ノール県にあります。
記事にあったように、1940年、ドイツ軍に破れたイギリス・フランス軍の陸軍の兵士が劇的に撤退を果たした場所として有名です。
ダンケルクはフランスの主要な港の1つです。
第一次世界大戦のときは、ドーバー海峡を掌握したいと思っていたドイツ軍にたびたび攻撃されました。
港を中心に鉄工業が盛んです。
ダンケルクの戦い(ダンケルクの奇跡)
ダンケルクの戦いについては、記事に書いてあるとおりです。
ドイツ軍はとても強く、バリバリとフランスに侵攻。ダンケルクとカレーという港湾都市を押さえてしまえば、連合軍の兵士はイギリスに行けなくなり、戦局はとても有利になるはずでした。
ところが、なぜかドイツ軍(というかヒトラー)はダンケルク進撃の停止命令を出したのです。
なぜ進撃停止命令を出したのか、その理由はいくつか説があります。
ヒトラーが「英国人は同胞だと思っていた説(人種が近い)」
「ドイツ陸軍の活躍に嫉妬したゲーリング(ドイツの空相)が、英仏軍の撤退途中に空軍に攻撃させてくれとヒトラーに進言した説」
「ルントシュテット将軍が、ドイツ軍は散らばっているからちょっと集めて、ついでに戦車を修理して後に備えましょうと、ヒトラーに進言した説」など。
きっと、いろいろな事情が合わさって停止命令が出たのでしょう。
そのチャンスに英国は兵士を救出するために、怒涛のように船を送ったのです。
兵士をイギリスに退却させる決定を出したのは、当時のイギリスの首相、ウィンストン・チャーチルです。
戦争が始まってすぐに、イギリス軍は大勢の兵士を死なせてしまったので、チャーチルはこの40万人を見殺しにしてしまったら、とても立場が悪くなるところでした。
というのも、イギリスは戦争中でもふつうに議会や選挙が行われていたからです。
この決定に、イギリス人全員団結して、民間人も、手持ちの船を持ってかけつけて、兵士を救出しました。
このときは、まだ戦争が始まったばかりだったので、みんな気分的に元気だったのでしょうね。
35万人ほど兵士は救出されましたが、イギリスは戦車や大砲など大量の兵器を失いました。しかし、「武器はまた作ればいい、兵士のほうが大事」という考え方だったようです。訓練をほどこしたプロの兵士は、そう簡単に補充できないからです。
実際、このとき救助された兵士が数年後に、陸軍の中枢となり、ほかの戦いで活躍して、結果的に連合軍が勝利。ダンケルクでのできごとは、戦局に大きな影響を与える退却作戦だった、と専門家は言っています。
ダイナモ作戦を成功させるため、カレーで包囲されていたイギリス軍兵士は、ドイツ軍をひきつけておくために、助けてもらえなかったそうです。
関連動画
なぜ第二次世界大戦が起きたのか? 1分47秒。
以下は映画「ダンケルク」の予告編。監督はクリストファー・ノーラン。
オリジナルの英語版
フランス語吹き替え版
日本語字幕版
ダンケルクはフランス語では、Dunkerque、英語では Dunkirk です。
Dunkerque は フラマン語(フランドル地方の方言)で「砂丘の教会」という意味。7世紀に建てられた聖堂に由来すると考えられています。
名前のとおり、街の北のほうは砂州(さす)です。
ダンケルクの救出作戦が成功したおもな理由は、最後のほうで登場したイギリス空軍の活躍と、砂浜がクッションになって爆弾の威力が半減したことにあるそうです。
イギリスでは、今も、みんなで一致団結して、危機を乗り越えることを、ダンケルクスピリットといったりするそうです。本当でしょうか。
ダンケルクのできごとはイギリス人にとっては語り草にしたいことですが、フランス人にとってはそうでもありません。
フランス兵士も助けてもらえましたが、この退却により、主力の兵士がフランスから出ていったしまったので、この後、フランスはあっさりとドイツに占領されてしまいます。
イギリスは同じヨーロッパでも、最近はどこからも侵略されていません。だからEUから出ていったのかもしれませんね。
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「ダンケルク」はほとんどの国で、2017年7月下旬に封切られ、話題をさらっています。日本での公開は9月9日です。
なぜ、日本は9月なんですかね? 戦闘シーンばかりなので、PG-13です。
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