バレンタインデーが近いので、フランス語とチョコレートの歴史を学べる短い動画(3分15秒)を紹介します。
フランスのチョコレートのメーカー クリオロ(Criollo)が作ったものです。フランス語の字幕つきです。内容を訳してみますね。
チョコレートの歴史 Histoire du Chocolat
カカオは南米生まれ
昔はカカオはアマゾン川流域に映えていました。オウムがカカオのたねを中央アメリカ中にばらまきました。
カカオを最初の栽培したのはトルテカ帝国です。
カカオの木は「神々の木」になりました。このぜいたくな伝説の植物は、マヤ族とアステカ族によって改良され、栽培が拡大しました。
カカオの2つの用途
クリストフ・コロンバスが新大陸を発見したとき、アステカ族は、カカオの豆を2つの用途に使っていました。
1つは、スパイスを入れたドリンク、Xocoalt (ゾコアルト)として。カカオの豆を細かくつぶし、水とスパイスを混ぜ、この苦いドリンクが泡立つまで長時間、撹拌しました。
泡だてると神に近づけると考えていたのです。
もう1つは、お金としてです。うさぎ一匹は10豆、奴隷1人は100豆でした。
オルメカ人とマヤ人はカカオ豆を税金の支払いに使っていました。
チョコレートドリンクがヨーロッパへ
この苦いチョコレートドリンクの味をいたく気に入ったのは、スペインの探検家、コルテスです。
彼はこのドリンクをスペインの王様、カール5世に送りました。しかしヨーロッパでは、このチョコレートドリンクを好む人はほとんどいませんでした。
スペインのお坊さんが水をミルクに、スパイスをハチミツに替え、温めることを思いつき、おいしい捧げ物を作るまでは。
フランスに入ったのは17世紀
フランスでは、1615年にルイ13世がアンヌ・ドートリッシュと結婚するまでこのドリンクが入ってくるのを待たなければなりませんでした。
フランスでもすぐにチョコレートドリンクが宮廷で大流行しました。
王様の手紙によれば、ダヴィド・シャリオは、パリでの最初のフランス人ショコラティエ(チョコレート職人)です。
チョコレートの生産がヨーロッパで拡大
このおいしいドリンクはまたたくまに、ヨーロッパの各都市に広がりました。イギリス人は、カカオ豆をアフリカの植民地に植えました。
フランスはすぐにチョコレートの生産を独占します。
1778年には、ドレが水力を利用してカカオ豆をつぶす最初の機械を発明。それを受けて、王様は彼のために、王立のチョコレート工場を作りました。
ずっと後になって、フランス革命が起きたので、フランス人はカカオにかまっていられなくなりました。
チョコレートの王様になった国は、チョコレート戦線の中で安全圏にいた小さな国、スイスでした。
チョコレートの種類と消費が拡大
偉大なチョコレート職人。トブラー、ピター、スシャールはレマン湖のほとりに居をかまえ、互いにチョコレート作りを競っていました。
彼らはホワイトチョコレート、ミルクチョコレート、ナッツ入りチョコを開発し、製造工程を完成させました。
現代では、フランスではすばらしいチョコレートが製造されていますが、ミルクチョコレートの製造に終始しているスイスとは違い、カカオの割合がひじょうに多いブラックチョコレートも作っています。
今日では、世界におけるチョコレートの消費は年間300万トン近くにのぼります。1秒に95キログラム以上です。
もっともチョコレートを消費しているのがヨーロッパの人々です。
チョコレートの歴史はこちらでも紹介しています⇒パリのチョコレート博物館「虎と小鳥のフランス日記」第101話~チョコレートの歴史 | フランス語の扉
単語メモ
pousser 生える、伸びる
Amazonie アマゾニア、南米、アマゾン川流域の総称
cacaoyer カカオ、ココア
berceau 起源、始まり
perroquet オウム
essaimer 分散する
Toltèque トルテカ帝国
broyer 細かくつぶす
fouetter 泡立てる
moussant 泡立つ
espédier 送る
Charles Quint カール5世
jusqu’au jour où + ind. ~する日まで
consécration 神にささげること;聖別、(ミサでパンとぶどう酒の)聖変化。聖変化とは、聖体礼儀においてパンとぶどう酒がイエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化することです。
nectar (ギリシャ神話)ネクタル、神々が飲む不老不死の酒;おいしい飲み物
conquérir 征服する、勝ち取る
à l’abri 安全なところに、保護された状態に
Lac Léman レマン湖(英語ではジュネーブ湖)
se livrer 戦いを交える
concurrence 競争、特に商売上の競争
contrairement à ~に反して
teneur 含有量、濃度
consommation 消費、消費量、使用量
アンヌ・ドートリッシュについて
アンヌ・ドートリッシュ(1601-1666)はスペインのハプスブルグ家出身の王女さま。14歳のときルイ13世と結婚しますが、不仲でした。
政略結婚だから、そうそう簡単に仲良くはならないでしょう。
結婚したとき、チョコレートドリンクを調合する召使を連れてきたので、フランスにチョコレートが入りました。
子どもがなかなか生まれませんでしたが、結婚23年後、37歳のときにルイ14世誕生。
ルイ14世は4歳で即位したので、母アンヌは摂政として活躍。ルイ14世の権力を固める地盤を築きます。
自分の姪、マリー・テレーズ・ドートリッシュをルイ14世に嫁がせました。マリー・テレーズもチョコレートを作る召使を伴ってフランス入り。
アンヌはフランスのブルターニュからはクレープを宮廷に持ち込んだと、という言い伝えがあります。
ブルターニュのクレープはガレットと呼ばれる、そば粉で作る甘くないタイプ。アンヌは狩でブルターニュに行ったさい、ガレットを食べて、気に入ったので、宮廷に帰ってから似たようなのを作らせました。
ただし宮廷では、小麦粉、バター、卵などリッチな材料を使ったとのこと。
アンヌのことはこちらでも書いています⇒パリのヴォージュ広場とルイ13世 | フランス語の扉 ルイ13世の肖像画つき。
チョコレートの歴史、いかがでしたか?
革命のせいで、フランスがチョコレートの製造の一線から退いた話はこの動画で初めて知りました。
興味深いですね。バレンタインに向けて、引き続きチョコレートを取り上げた記事を書いていきます。どうぞお楽しみに。
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