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きっすいの政治家、シラク元フランス大統領、86歳で亡くなる

2019年9月26日、元フランス大統領のジャック・シラク氏(1932-2019)が86歳で亡くなりました。

彼は40年以上、政治家をつとめ、国民に愛されていたので、国葬が行われましたね。

シラク氏が亡くなったことを伝えるFrance24のニュース(2分14秒)を紹介します。

ジャック・シラクの死

トランスクリプト

Décès de l’ancien président Jacques Chirac, “l’animal politique”

Ce soir-là, en direct de l’Élysée, Jacques Chirac met fin à 42 ans de vie politique.

“Mes chers compatriotes, au terme du mandat que vous m’avez confié, le moment sera venu pour moi de vous servir autrement. Je ne solliciterai pas vos suffrages pour un nouveau mandat.”

Incroyable longévité pour celui qui a souvent été décrit comme un “animal politique”. Un homme au destin hors normes. À 33 ans, Jacques Chirac remporte sa première élection au conseil municipal de Sainte Féréole, en Corrèze.

Puis, il est ministre sans interruption de 1967 à 1974. Il est nommé à deux reprises chef de gouvernement, élu trois fois maire de Paris, deux fois président de la République. De nombreux combats qui lui ont valu la réputation d’un “dur à cuire”.

Le grand talent de Jacques Chirac, c’est d’avoir su survivre à l’ensemble des combats qu’il a eu à mener, et puis de dévorer à belles dents et de déchiqueter tous ceux qui lui faisaient de l’ombre, que ce soit dans l’Opposition, et plus particulièrement – et ça, c’est sa caractéristique – au sein de son propre camp.

Jacques Chaban-Delmas, un gaulliste pur jus, en a fait les frais lors de la présidentielle de 74. Jacques Chirac lui tourne le dos pour soutenir le centriste Valéry Giscard d’Estaing, dont il sera Premier Ministre.

Mais en 76, Jacques Chirac prend ses distances avec le Président, en démissionnant et en créant son propre parti, le RPR.

Deux ans plus tard, de son lit d’hôpital après un accident de voiture, il lance l’Appel de Cochin, un réquisitoire contre la politique de Giscard.

Les positions de Chirac ont pu évoluer avec le temps. Après avoir défendu le libéralisme à la Reagan, il devient l’homme de la “fracture sociale”.

“L’approfondissement de la fracture sociale que connaît notre pays…”

En 2002, c’est grâce aux voix de la gauche qu’il gagne l’élection présidentielle face à Jean-Marie Le Pen.

“Ce soir, nous célébrons la République.”

D’abord décrit comme un “jeune loup”, puis comme un “requin”, cet animal politique, même affaibli à la fin de sa carrière, compte parmi les personnalités politiques préférées des Français.

トランスクリプトの引用元⇒Décès de l’ancien président Jacques Chirac, l’animal politique : French practice – Kwiziq French

和訳

■元大統領、ジャック・シラク、政治家(ポリティカル・アニマル)の死

エリゼ宮からの生中継です。ジャック・シラクが42年の政治家人生に終止符を打ちました。

「親愛なる国民のみなさん、皆さんが託してくださった任期の最後に、これまでとは違う形で皆さんに奉仕する時がやってきました。次の任期への投票を皆さんに求めることはいたしません」。

シラクは、驚くほど(政治家として)長寿であり、しばしば、「ポリティカル・アニマル」と呼ばれていました。

彼は、並外れた運命をたどりました。33歳で、ジャック・シラクは、彼のはじめての選挙であるコレーズのサン・フェレオールの市議会で当選しました。

その後彼は、1967年から1974年まで継続して議員を務めました。

2度、首相に任命され、3度、パリ市長を務め、2度大統領を務めました。

何度も戦った彼は、『しぶとい男(dur à cuire)』という評判を得ました。

ジャック・シラクの大いなる才能は、彼が戦わねばならなかった数々の選挙を勝ち抜くことができたこと、そして、たとえ野党だろうと、彼の影を薄くする人間に牙をむき、ずたずたにしたこと、そして、それより重要な特徴は、自分の陣営でもそうしたことです。

生粋のゴーリスト(ド・ゴール派)であったジャック・シャバン=デルマスは、1974年の大統領選のとき、その矢面にたちました(=シラクにしてやられた、ということ)。

シラクは、シャバン=デルマスに背を向け、中道派のヴァレリー・ジスカール・デスタンの支持をし、ジスカール・デスタン政府の首相を務めました。

しかし、1976年には、ジャック・シラクは、ジスカール・デスタン大統領から距離をとり、大統領をやめ、自身の政党である、共和国連合(RPR)を作りました。

その2年後、交通事故にあい入院中に、コシャン声明(コシャンは病院の名前)を出し、ジスカールの政策を非難しました。

時間がたつにつれ、シラクのポジションは進化していきました。

レーガン大統領の新自由主義(レーガノミクス)を擁護したあと、彼は「社会的階層分裂(fracture sociale)の(問題提議をした)男となりました。

「この国における社会的階層分裂の深刻化は・・・」

2002年、左派の投票のおかげで、ジャン=マリー・ル・ペンを破って大統領に当選しました(再選)。

「今晩、みんなで共和国を祝いましょう」。

はじめは、「若いオオカミ」と言われ、次に、「サメ」と呼ばれた、この政治家は、キャリアの最後にこそ、弱っていきましたが、フランス国民の好きな政治家の中に位置しているのです。

単語メモ

terme  期限

conseil municipal  市議会

être dur à cuire  手強い、したたかな、煮ても焼いても食えない(話)。文字通りの意味は、固くて煮えない。

valu <valoir  ~に値する

déchiqueter   ずたずたに傷つける、ばらばらにして殺す

au sein de   ~のただ中で、~に包まれて

pur jus  生粋の(話)

en faire les frais   矢面に立つ、代償を支払う

centriste   中道派

RPR Rassemblement pour la République  共和国連合

appel  呼びかけ、訴え、アピール

réquisitoire   非難文書、糾弾文書

approfondissement   深まり

l’animal politique は、ポリティカル・アニマルと訳しましたが、しゃにむに政治をする人、つまり、きっすいの政治家ということだと思います。

シラク氏は、UMP(Union pour un Mouvement Populaire 国民運動連合)に所属していた政治家でした。UMPは、保守、中道右派です。

死因は発表されていませんが、晩年はアルツハイマー病を患っていました。

シラク大統領は、1967年から2007年まで、政治家をしていただけでなく、大統領、首相、パリ市長など、重職に長くついていたので、20世紀の後半のフランスの政界の重鎮みたいな存在です。

選挙のたびに、彼の顔のポスターが街にあふれたのですから、フランス人なら誰でも知っているはずです。

何年も国民に奉仕してきた、偉大な政治家と言えます。

とても野心的な人でしたが、同時に人間味のある人で、親しみやすさを売り物にしていた庶民派でもあったから、その点も国民に好かれている理由の1つでしょう。






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