フレンチ・ポップスでフランス語を学ぶコーナー。今回は、San Francisco(サンフランシスコ)という曲を紹介します。歌っているのは Maxime Le Forestier(マキシム・ル・フォレスティエ)。
彼のデビューアルバムに入っている曲で、代表曲の1つです。
サンフランシスコ
サンフランシスコはもちろん、アメリカの西海岸、カリフォルニア州の北部にある街のことです。
マキシムは、デビュー直前、お姉さんのカトリーヌと一緒に、サンフランシスコにある青い家に住んでいたことがあります。ヒッピーのコミューンがあった時代の話です。
この曲はその当時のことを歌っています。1972年の曲です。
そこまで難しい単語は出てこないし、ミドルテンポなので聞き取りやすいと思います。
それでは訳詞に挑戦!
それは青い家
丘を背にした
僕らはそこに歩いて行く、ドアを叩いたりはしない
そこに住んでいる人が鍵をなげてくれる
皆、一緒に集まる
何年か旅をしたあと
そこにやってきて、食卓を囲む
みんなそこにいる。夕方の5時に
サンフランシスコが霧でかすむとき
サンフランシスコに灯りがともるとき
サンフランシスコ、みんなどこにいるんだい?
リザードにリュック、シルヴィア。僕を待っていて
霧の中を泳ぎ
一緒になって、草の中で転がりながら
僕らはトムのギターと
フィルのケーナを夜がふけるまで聞く
他の人がやってくる
僕らに消息を伝えてくれる
1,2年のうちに戻ってくる人の
彼が幸せだから、僕たちは眠りにつく
サンフランシスコが目覚めるとき
サンフランシスコが目覚めるとき
サンフランシスコ、みんなどこにいるんだい?
リザードにリュック、シルヴィア。僕を待っていて
それは青い家
僕の思い出の中にある
僕らはそこに歩いて行く、ドアを叩いたりはしない
そこに住んでいる人が鍵をなげてくれる
長髪の連中が住んでいる
大きなベッドと音楽がある
光があふれ、おかしな連中がいる
その家は最後まで立っているだろう
サンフランシスコが崩壊しても
サンフランシスコが崩壊しても
サンフランシスコ、みんなどこにいるんだい?
リザードにリュック、シルヴィア。僕を待っていて
★上で引用した歌詞では、ふたつめにサンフランシスコが出てくるとき
Quand San Francisco s’embrume
Quand San Francisco s’allume
となっていますが、実際は、
Quand San Francisco se lève
Quand San Francisco se lève
です。
この家は今もあって、わりと最近、ペンキを塗り替えて、いまもきれいな青い色の家らしいです。
単語メモ
adossé à/contre ~を背にした
Il était adossé à la porte. 彼はドアに背をもたせていた。
s’embrumer 霧で包まれる
s’allumer 灯りがともる
enlacer からみつく、巻き付く、抱きしめる
kena ケーナ 南米の縦笛
peuplé 人の住んでいる
s’effondre (建物などが)つぶれる、倒れる
きょうのプチ文法:単純未来形
この曲は昔のことを歌っていますが、2番では、この家ではこんなことが起こるだろう、と単純未来形を使っているところがたくさんあります。
たとえば、
On écoutera, un autre arrivera, on s’endormira など。これらは昔、青い家で起こっていたことだと思います。
最後の、Elle sera dernière à rester debout の sera は、昔もいまもこれからも、ずっと、この家はあり続ける、という意味で、未来形の本来の用法と言えましょう。
単純未来について⇒「まいにちフランス語」36:L58 単純未来その1
サンフランシスコはヒッピー発祥の地
1960年代後半、サンフランシスコはヒッピームーブメントのメッカでした。特にヘイト・アシュベリーが有名です。70年代のサンフランシスコはゲイの街として知られました。
昔から自由な雰囲気のある街なのでしょう。
ヒッピーは1960年代のアメリカで、それまでの社会体制や価値観を否定して、共同生活を始めた人のことです。
自然と共存し、ヒッピー同士コミュニティを作って自由に生きていました。その多くは学生です。それもわりと裕福な家庭出身の人が多かったとか。
まあ、妻子あるふつうの社会人がいきなりヒッピーになるのは大変な面があります。金銭的な成功を求めるのはヒッピーらしくありません。
折からベトナム戦争の時代だったので、ヒッピーたちは反戦運動もしていました。
ラブ&ピースが彼らのポリシーです。
ふだんは農作業したり、瞑想したり、歌ったり踊ったり、野外コンサートにいったり、ドラッグを使って自らを覚醒させたりしていました。
こんな暮らしを一生貫くのは難しいせいか、その後ヒッピーは多様化していきました。
今もヒッピーはいるそうですが、現在は、ファッションや音楽に登場するヒッピー的なモチーフのほうが有名です。
当時、ヒッピー文化はとても大きなムーブメントだったので、サンフランシスコを歌った曲もたくさんあります。
もっとも象徴的なのが、スコット・マッケンジーのもSan Francisco (Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)「花のサンフランシスコ」です。
サンフランシスコに行くなら髪に花をさして行くんだよ。そこにはやさしい人がいっぱいだ。
夏のサンフランシスコは、ラブイン(love-in ヒッピーの集会)の季節、街角には花を髪にさしたやさしい人が大勢いるんだ。
それは新しい世代。みんな不思議なバイブレーションを感じながら、動いているよ、動いているよってな歌です。
働かず、皆と愛し合って生きる、ある意味、理想郷ですね。まあ、西海岸の温暖な場所じゃないとできません。
サンフランシスコを好きな人はたくさんいるみたいで、ヒッピー文化が生まれる前から、この街を歌った歌はいくつかありました。もちろんヒッピーが生まれてからも、サンフランシスコの歌はたくさんできています。
マキシムの歌は、数あるサンフランシスコの歌の中で、もっともシンプルで美しいのではないかと思います。
このアルバムに入っています。
バラの花が目立っているこのアルバムは、« l’album à la rose »「バラのアルバム」とも呼ばれています。
ヒッピーについては過去記事にも詳しく書いています⇒2014年春夏ファッションのトレンドその5~ヒッピー・シック
60年代の話が読みたい人はこちらもどうぞ⇒歌と訳詞:アリゼ Fifty-Sixty ウォーホルのミューズ、イーディのことを歌った歌 | フランス語の扉 例によってマニアックなことを書いています。
マキシム・ル・フォレスティエのプロフィールは過去記事に書いています⇒マキシム・ル・フォレスティエのかわいい曲、『小さなフーガ』の訳詞
私は彼のファンなのですが、まだ1曲しか訳していませんでした。そのうちまた機会を見つけて訳しますね。
PENさんこんにちは!私もフレンチポップスが好きなのですが、輸入盤CDだと歌詞カードが無くて、いろいろ調べてるうちこちらのブログを見つけました。知らなかった曲もたくさん紹介してくれていて、少しずつ読んだり聴いたりしてます。楽しいです。マキシムの「感情教育」はとても好きでしたが、この曲も「小さなフーガ」もいいですね!フランス語は音とつづりがある程度は対応しているとはいえ、やはり単語力がないと聞き取れないので、少しずつ覚えていこうと思います。これからもよろしくお願いします。
ソランジュさま
こんにちは。penです。
記事をごらんいただき、ありがとうございます。
最近、CDを買っていないのですが、
確かに輸入盤は歌詞カードなどは
入っていないですね。
でも、今はインターネットで調べられるので
便利です。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。
pen