シャネルのデザイナー(クリエイティブ・ディレクター)、カール・ラガーフェルドが、2019年2月19日に85歳で亡くなりました。
彼はフランスだけでなく、世界的に有名な、ファッション界のアイコンでした。
きょうは、彼の死を伝える、子供新聞(1jour1actu)の記事を紹介します。
短いし、フランス語もそんなに難しくありません。
カール・ラガーフェルドって誰?
C’était qui, Karl Lagerfeld ?
ドイツ人のファンション・デザイナー、カール・ラガーフェルドが、2月19日、亡くなりました。
彼は、85年間、モードの世界で、世界的なスターでした。なぜ、そんなに知られていたのか、1jour1actu が、説明します。
きみも、たぶん、テレビで見たことでしょう。真っ白な長髪にサングラス、そして、エレガントな黒い服を着たラガーフェルドは、すぐに彼だとわかりました。
彼はまた、独特のアクセントでフランス語を話しました。
このドイツ人のデザイナーは、2月19日、85歳で亡くなりました。彼は、モードの世界全体で有名でした。特に、シャネルの仕事をしていたからです。シャネルは、フランスのオートクチュールのメゾンです。
シャネルの男
子供のとき、カール・ラガーフェルドは絵を描くことが大好きでした。この才能は、洋服のデザインをするとき、存分に発揮されました。
1954年、彼はドイツを出て、ファッションの都、パリにやってきました。この年、自作のデザインで、ファッションコンクールで賞を取りました。
1983年、すでにモードの世界で有名だった彼は、シャネルで働きはじめました。
当時、シャネルは、苦戦していましたが、彼が立て直しました。
ラガーフェルドは、ほかのとても有名なブランドのためにも働き、自分の名前を冠した自分のブランドも作りました。
偉大なクリエイター
ラガーフェルドには、いろいろな才能がありました。偉大なデザイナーであっただけでなく、写真家でもありました。広告を作り、短い映画も制作しました。
2009年、Totally Spies(トータリー・スパイ)というアニメ映画で、悪者の声を当てたのは、彼です。
彼はこの役を演じるのを大いに気に入っていました。彼自身も、ジョーク、特に、冷やかしの言葉で有名でしたから。
とはいえ、世界中が、彼を偉大なクリエイターであり、ひじょうに独創的な人物だととらえています。
カール・ラガーフェルドは飼い猫のシュペット(Choupette)をとても可愛がっていました。自分が死んだら、遺産の一部は、この猫にあげると話していたものです。
元記事 → C’était qui, Karl Lagerfeld ? – 1jour1actu.com – L’actualité à hauteur d’enfants !
単語メモ
reconnaissable それとわかる、見分けられる
relancer 再び活発にする
avoir plus d’un tour dans son sac 抜け目がない、したたかである
moqueur, moqueuse からかうのが好きな、嘲笑的な
単語のの使い方でおもしろいと思ったのは、「アニメ映画の悪者の声を演じた」というところで、prêtait sa voix au méchant と、prêter(「貸す」という意味) という動詞を使っていたところです。
ここでの prêter は、「提供する」という意味です。
カール・ラガーフェルドについて
ラガーフェルドのキャリアを伝えるLe Mondeの動画です。3分47秒。若い頃の映像もあります。
彼は1932年ドイツで生まれたのが本当らしいのですが(伝記作家や親戚がそう言っている)、自分では長い間、1935年生まれとか、1938年生まれと言っていました。
1954年にウールを使ったデザインコンクールの、コート部門で優勝し、デザイン業界に入りました。
いろいろなところで専属デザイナーとして、またフリーのデザイナーとして働きつつ腕をみがき、1965年にフェンディのデザイナーとなり、1983年、シャネルの仕事も始めます。
この頃、シャネルは低迷していて、香水ぐらいしか売れていなかったのですが、彼が、革新的なデザインで、シャネルを復活させました。
彼のデザインの特徴は、オリジナリティのあることです。
まあ、デザイナーは誰でもオリジナリティがありますが、彼は、特に独創的で、あまり伝統にとらわれないし、予算なんかも気にしないようです。
フェンディのコレクションでは、毛皮をそいだり、染めたりして、大胆に使いました。
それまで、毛皮は毛皮として使われていて、これに手を加えることはされていませんでした。
シャネルでも、パールのネックレスを好きなようにあしらって、もし、ココ・シャネルが生きていたら、「エレガントじゃない」とか言いそうな感じです。
まあ、ココ・シャネル自身も、最初は「ヘンテコすぎる、下品だ」と言われていたので、独創的な者同志、気が合うかもしれません。
彼の革新的なところが受けたのか、コレクションは当たって、今やシャネルは、超有名ブランドです。
ラガーフェルドはずいぶん前からいまの白髪のポニーテール、黒いサングラス、黒いスーツ、黒革手袋がトレードマークになりました。自分自身をプレゼンテーションすることにもたけていたのです。
1jour1actu の記事にもあったように、マルチな才能をもち、デザインのみならず、いろいろな仕事をしていました。
オートクチュールのデザイナーがやらないような、既製服のブランドとのコラボにも取り組みました。
ラガーフェルドの死因は発表されていませんが、膵臓がんではないか、と書かれている記事を見ました。
彼は、今年の1月のシャネルのコレクションに登場しませんでしたが、そのときは、「疲労のため」と言われました。
死ぬまで現役で、ばりばり働いていたのは事実です。80歳すぎても、引退などは全然関係なく、年間14あまりのコレクションをこなしていたとのこと。
もともと、仕事が好きで、仕事熱心な人でした。フランス人じゃないから、そうなのかもしれません。
彼は、2012年から飼っているシュペットという猫をすごくかわいがっていました。実際、彼が残した資産、推定2億ドル(きょうのレートで170億円ぐらい)の一部が、この猫にいくらしいです。
シュペットは以前から有名で、ドイツの車や日本のシュウ・ウエムラの広告にも登場したことがあり、遺産をもらう前から金持ちでした。
シュウ・ウエムラのCMのビハインド・ザ・シーン。1分10秒。
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このとき、「引退なんて、とんでもない」と話していました。事実、カール・ラガーフェルドは、フェンディ及びシャネルと、死ぬまで有効な契約をしていました。すごいですね。
本当の終身雇用契約です。ですが、その契約には、「なんでもラガーフェルドの自由にやってよい」とあったそうなので、雇用というのとはちょっと違います。
この記事には、彼が68歳のときダイエットした話も書いています。
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ラガーフェルドがココについて語っている動画を紹介しています⇒ココ・シャネル~成功する人はどんな人?(名言その6)
ラガーフェルドは確かに偉大な人であり、ファッション業界に多大な貢献をしました。100歳ぐらいまで活躍しそうな気がしていたので、亡くなってとても残念です。
ですが、猫はいい迷惑ではないでしょうか?
猫がお金もらったって、それこそ、猫に小判です。
ラガーフェルドは、この猫をとてもかわいがっていて、シュペット専用のお手伝いさんを2人雇っていたそうです。
飼い主がいなくなったこと、シュペットにもわかるんでしょうか?
「忠犬ハチ公」の例から、犬は主人にひじょうに忠実で、ご主人さまをいつまでも待ち続けるようですが。
なお、シャネルの新しいクリエイティブ・ディレクターは、ヴィルジニー・ヴィアール(Virginie Viard)が勤めます。この方は、ラガーフェルドの右腕だった人です。
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