エリザベス2世の切手

フランス語を読む練習

3分半で見るエリザベス2世の生涯。在位70周年おめでとうございます。

この週末、イギリスでは(他の国でも)、エリザベス2世の在位70周年のお祝いで盛り上がっていました。

70年! すごいですね。

エリザベス2世の経歴を3分半にまとめたLumniの動画を紹介します。

タイトルは、Elisabeth II, un destin royal (エリザベス2世、女王の生涯)。

Elisabeth II

4分、フランス語の字幕あり。

トランスクリプション

Elle a le plus long règne de l’histoire britannique.

Pourtant, quand Elisabeth naît le 21 avril 1926, elle n’est pas destinée à devenir reine.

Son père étant le 2e fils du roi George V, et c’est son oncle, Edouard VIII, qui est appelé à régner.

Mais, en 1936, Edouard VIII veut épouser Wallis Simpson, une Américaine divorcée.

L’Eglise anglicane, dont le roi est le chef, interdisait alors le mariage du roi avec une personne divorcée.

Devant le refus du gouvernement d’accepter cette union, il abdique.

Le père d’Elisabeth devient donc George VI, roi d’Angleterre, et Elisabeth, l’héritière du trône.

Pendant la 2de Guerre mondiale, la famille royale, Elisabeth en tête, refuse de quitter l’Angleterre bombardée.

Elle gagne une popularité quasiment jamais démentie depuis.

Après la guerre, en 1947, Elle se marie avec son cousin Philip.

Ensemble, ils auront quatre enfants, dont Charles, l’héritier de la Couronne.

Le 6 février 1952, le roi George VI meurt.

A 25 ans, Elisabeth devient reine.

Le couronnement a lieu le 2 juin 1953, à l’abbaye de Westminster.

La cérémonie est, pour la 1re fois de l’histoire, retransmise en direct à la télévision.

Au Royaume-Uni, le souverain a le rôle de chef d’Etat.

Il nomme le Premier ministre et est le chef des armées.

La reine est la garante des institutions dans cette monarchie constitutionnelle parlementaire.

Elle est également la cheffe du Commonwealth, une organisation qui est créée en 1956, à la siote de la décolonisation et de la fin de l’Empire britannique.

Elisabeth II est, dans ce cadre, reine de 16 pays, dont le Canada et l’Australie.

Au cours de son long règne, 15 Premiers ministres britanniques se succèdent, de Winston Churchill à Boris Johnson, en passant par Tony Blair, David Cameron ou Margaret Thatcher.

Les années 1990 sont marquées par une baisse de popularité de la monarchie.

Jugée trop coûteuse pour le pays et trop éloignée du peuple, elle devra faire face à de nombreux scandales.

Pour la reine, 1992 est une année “horrible”, selon ses mots.

Un incendie ravage le château de Windsor et les travaux de reconstruction sont pris en charge par les contribuables anglais, ce qui lui vaut de nombreuses critiques.

Puis Charles et la très populaire Diana annoncent leur séparation.

Lorsqu’en 1997, la princesse Diana meurt à Paris, Elisabeth II reste silencieuse.

Les Anglais sont choqués.

Cette désapprobation massive poussera finalement la reine à prendre la parole publiquement la veille des funérailles.

Mais depuis le début des années 2000, Elisabeth II a repris sa place dans le cœur des Anglais.

En 2002, la mort de sa mère et de sa sœur Margaret l’ont profondément bouleversée.

Les Anglais ont été émus.

Sa relation avec ses petits-fils William et Harry lui a également permis de regagner en popularité.

Elle reste le membre le plus populaire de la famille royale.

エリザベス2世・和訳

エリザベス2世は英国史上、もっとも長く君臨しています。

とはいえ、1926年4月21日、エリザベスが生まれたとき、彼女は、女王になる運命にはありませんでした。

父親は国王ジョージ5世の次男で、王位を継ぐのは、彼女の叔父のエドワード8世のはずでした。

しかし、1936年、エドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性、ウォリス・シンプソンとの結婚を望みました。

国王が長を務める英国国教会は、国王が離婚歴のある人と結婚することを禁じていました。

政府がこの結婚を認めなかったので、エドワード8世は退位しました。

こうして、エリザベスの父親が、イギリスの国王、ジョージ6世になり、エリザベスは王位継承者となったのです。

第2次世界大戦中、エリザベスが率いる王室は、爆撃を受けていたイギリスから離れることを拒みました。

以来、彼女はほぼ、決して否定されることのない人気を獲得しました。

戦後、1947年にエリザベスは、いとこのフィリップと結婚しました。

2人は、王位継承者であるチャールズを含む4人の子供をもうけました。

1952年の2月6日、国王ジョージ6世が亡くなりました。

エリザベスは25歳で女王になりました。

戴冠式は1953年の6月2日にウエストミンスター寺院で行われました。

式典は、史上はじめてテレビで生中継されました。

イギリスでは、君主が国家元首の役割を果たします。

君主は首相を任命し、軍隊の長も務めます。

女王はその議会制立憲君主制度の保証人です。

彼女はまた、英国連邦のトップでもあります。これは、非植民地化と大英帝国の終焉のあと、1956年に作られた組織です。

この枠組の中で、エリザベス2世はカナダやオーストラリアを含む16カ国の女王です。

彼女の長い在位期間に15人の英国首相が誕生しました。ウィンストン・チャーチルから、ボリス・ジョンソンまで。間に、トニー・ブレア、ディヴィッド・キャメロン、マーガレット・サッチャーがいます。

1990年代は、王室の人気がもっとも低下した時期でした。

国にとってお金がかかりすぎるし、国民から離れすぎていると判断され、女王はたくさんのスキャンダルに見舞われました。

女王にとって、1992年は、本人の言葉を借りれば「ひどい」年でした。

ウインザー城が火災にあい、その再建工事に、イギリスの税金が使われ、彼女はたくさんの非難を受けました。

さらに、チャールズと、とても人気のあったダイアナが別居を発表しました。

1997年、ダイアナ妃がパリで亡くなったとき、エリザベス2世は沈黙していました。

イギリスの人々はショックを受けました。

大衆の大きな非難を受け、結局、女王は、葬儀の前日に公に発言しました。

しかし、2000年代初頭から、エリザベス2世は、再びイギリス人の支持を得ています(←イギリス人の心の中にその場所を得ています)。

2002年、母親と妹のマーガレットが亡くなり、女王は打ちのめされました。

イギリス人は心を打たれました。

孫のウィリアムとハリーとの関係も、女王の人気回復に一役買っています。

女王は、今も、ロイヤルファミリーの中でもっとも人気のあるメンバーです。

単語メモ

démentir  否定する

contribuable  納税者

エリザベス2世、関連動画

La reine Elisabeth II: 70 ans de règne en 7 moments (女王エリザベス2世:在位70年の間の、7つの瞬間)

フランス語の字幕つき。

70年の間に、本当にいろんなことがありましたね。

女王の生涯が、(まだ存命なのに)映画やドラマになるのもわかります。

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*****

べつに女王じゃなくても同じ仕事を70年も続けるのは偉業ですが、イギリスの君主の仕事を70年もやって、しかも、最初の頃は、まだ20代だったなんて、本当に立派です。

エリザベス女王は運動神経もいいし、進取の気風に富む方だし、何より、いつも安定感がありますよね。

イギリス国歌のGod Save the Queenの1番の歌詞は、エリザベス2世のために書かれたんじゃないかと思うほどです。






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