フランス語で書かれた「子どもの日」の歴史を読んでいます。
後編は、中国発祥のお祭りが、日本の武家の風習になったくだりです。
Kodomo no hi 子供の日
De la Chine aux samourais 中国から侍(さむらい)へ
6世紀ごろ中国の端午の祭りが、漢字や仏教と同じように、日本の宮中に伝わって、広く親しまれるようになりました。
この時期、ずっと5月5日の象徴であった菖蒲(しょうぶ)もお祝いしました。当時はよく家の戸口に菖蒲の束を飾りました。
Mais à partir de l’époque Kamakura (1185-1333), l’habitude se perd à la cour et est récupérée par les buke, les familles de samouraïs.
Le 5 mai devient le jour où le petit guerrier reçoit de son père une partie de sa future armure.
La fête de l’iris est peu à peu remplacée par une célébration de la culture du sabre, et de la transmission de l’idéal chevaleresque de père en fils.
しかし、鎌倉時代(1185-1333)に宮廷ではこの習慣はすたれ、かわりに武家の風習となりました。
5月5日は武家の男児が、父親から、将来手にするはずの武具の一部を譲り受ける日となったのです。
菖蒲祭りはだんだん刀と武士道の心を父から息子に受け継ぐ日となっていったのです。
現在でも、日本の家庭では男の子に兜(かぶと;昔の武士が頭にかぶった武具のレプリカ)をよく贈ります。
金箔で豪華に飾られた兜は家の一番いい部屋に置かれます。
Mochi mochi 餅と餅
このように5月5日のシンボルは鯉、菖蒲、侍文化とたくさんあります。
この日は次第に端午の節句(菖蒲祭り)から、子どもの日に形を変え、日本中の子どもをお祝いする日となりました。
お米からできた2種類のお菓子を食べます。ちまき(米を蒸して、竹の皮で巻いたもの)と、柏餅(新年のお祝いに食べる餅に、あんこを入れ、柏の葉で巻いたもの)です。
元記事 → Kodomo no hi : le 5 mai, fête des carpes et des enfants japonais | Guide Japon.fr ☆サイトの改装中のようなので、リンクをはずしました(2018/03/05)。
前編はこちら⇒子どもの日の由来~前編:鯉のぼり
単語メモ
rameau 小枝
sabre 刀、サーベル
récupérer 取り戻す、復帰させる
chevaleresque 騎士(道)の
trôner (中央に)ひと目をひくように置かれている
recevoir qc de qn/qc ~から受け取る、もらう
J’ai reçu de ma mère une longue lettre.
私は母から長い手紙を受け取った。
Elle a reçu du Ciel la franchise et la bonté.
彼女は天から率直さと善良さを授かった。
端午の節句
端午とは端(はじめ)の午(うま)、つまり月初めの午の日という意味です。べつに5月でなくても端午はあるわけですが、五と牛がともに「ゴ」という読みなので、端午というと、5月5日をさすようになりました。
端午の節句は中国から伝わったものですが、もともと日本の宮中では、5月5日にショウブを家の軒に挿す習慣がありました。
というのも5月は田植えの時期で大切な月だから、物忌をしていたそうです。だから薬草をつんで、邪気を払っていたのです。
端午の節句と菖蒲の節句をあわせたような風習が宮中でできあがり、長く伝わりましたが、武家政治の時代になり、すたれました。
でも、武家では、「しょうぶ」を「尚武」にかけて、武芸を伝える日としたのです。尚は「たっとぶ、とうとぶ、こいねがう」という意味です。
古くからある風習を調べてみると、思いのほか、数字の読みや、言葉の読みにひっかけてできあがっているので興味深いです。
菖蒲を使う風習は今でも「菖蒲の湯」などで、残っていますね。
私は菖蒲湯には入ってことがありませんが。
それでは、次回の暦の記事をお楽しみに。
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