毎週土曜日に届くフランス語の教材「虎と小鳥のフランス日記」ですが、最新作を見るのと平行して、バックナンバーも週に一作のペースで受講しています。
きょうは第26話を見ました。
タイトルは「バルザックの家」Maison de Balzacです。
バルザックとは?
バルザック(1799-1850)は、19世紀のフランスの有名な小説家です。
名前は Honoré de Balzac オノレ・ドゥ・バルザック
貴族みたいな名前ですが、そうではなく逆に借金がたくさんありました。
私は彼の作品は中学生か高校生のころに「谷間の百合」と「ゴリオ爺さん」を読んでいるはずです。もちろん翻訳で旺文社文庫です。しかし内容はさっぱり思い出せません。
私の好きなトリュフォー監督はバルザックを敬愛していました。監督の自伝的なドワネルものの映画で、主人公を演じるジャン・ピエール・レオーがバルザックの本を読んでいるシーンがいくつかあります。他の映画でも「バルザックがどうしたこうした」という台詞が出てきます。
詳しくは知りませんが、トリュフォーもバルザック同様、子どものとき母親の愛を得られなかった反動で、女性好きになったのかもしれません。
あ、きょうはバルザックのお話でしたね。
いつも教材ビデオのキャプチャー画像と3つのキーフレーズをご紹介しています。しかし本日は彼の家の写真を紹介しながら、ちょっとバルザックの話を書きたいと思います。
バルザックの家
バルザックの家はパリの16区にあります。1860年にパリに合併される前、ここはパッシー村でした。現在は美術館として、彼のゆかりの物と一緒に一般公開されています。
表は平屋なのですが、裏からみると三階建てのちょっと変わった家です。借金取りの目をくらますため、などと言われています。
この家はちょっと高台にあり、エッフェル塔がこんなふうに見える庭をバルザックは気に入っていました。
中にはロダンが作ったバルザックの彫像があります(トップの画像です)。
この仕事机はクルミの木でできています。あまりすわり心地の良さそうな椅子ではありません。
バルザックという作家は創作のアイデアが湯水のように湧き出てくるタイプでした。モーツアルトみたいに、どんどん頭の中に書きたいものが浮かんでくるから、さっさとそれを出さないことには生きていけなかったのかもしれません。
ビデオの最後でバルザックが1845年、エヴァリーナ・ハンスカ伯爵夫人(1801年-1882年)(後述)にあてた手紙の一節をAntoineが読み上げます。彼の仕事ぶりがわかる文章です。
« Travailler, c’est me lever tous les sois à minuit, écrire jusqu’à huit heures, déjeuner en un quart d’heure, travailler jusqu’à cinq heures, dîner, me coucher, et recommencer le lendemain. »
働くということは、毎晩24時に起き、朝8時まで書き、15分で食事を済ませ、17時まで書き、夕食を取り、寝て、翌日再び書き始めることです。
彼の愛用した陶器のコーヒーポット(沸かして飲むタイプみたいです)が残っています。
毎晩どろどろのコーヒーをがぶがぶ飲みながら小説を書いていたそうです。そのわりにコーヒーポットは可愛いです。
校正に校正を重ねた原稿
バルザックは仕事も好きでしたが、社交界も好きで、怒涛のように働くあいまに、パーティに行って、たらふくごちそうを食べていました。
バルザックの文通相手エヴァリーナ
バルザックはこのエヴァリーナというポーランドの名門貴族の奥様と1833年から文通をしていました。
フランスとポーランドでお手紙のやりとりをしていたようです。
作家だから、きっとすごくおもしろい手紙だったんでしょうね。ハンスカ夫人がファンレターのようなものをバルザックに送ったことから始まったとか。彼女、フランス語ができたんですね。当時のポーランドの上流貴族のたしなみでしょうか?
1841年に伯爵が亡くなってから、二人は一緒に旅行に出るなど行動を共にするようになり、エヴァリーナはバルザックの子どもを死産したこともあります。
1850年に二人は結婚するのですが、バルザックはその5ヶ月後に亡くなります。
バルザックは食べ過ぎで糖尿病になり失明したとか、食べ過ぎのせいで腹膜炎になり亡くなったと言われています。
借金がたくさんあったのですが、エヴァリーナが夫の財産を相続していたので、それでバルザックの借金を清算しました。
次回は、この回の3つのキーフレーズをご紹介します。
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