2016年4月21日に、突然アーティストのプリンス(1958-2016)が亡くなりました。ショックを受けている人も多いと思います。
きょうは、彼の訃報を伝える1jour1actuの4月22日の記事を訳します。
プリンス、ポップとファンクの王者、死す
なぜ、この話題を取り上げるのか?
なぜなら、ミュージシャンで歌手のプリンスが、57才で亡くなったからです。
アメリカの歌手でミュージシャンのプリンスが、この木曜に57才で亡くなりました。彼は音楽の偉大なるスターの1人とみなされています。
デヴィッド・ボウイが亡くなったあと、音楽ファンは新たな悲しみにくれています。木曜の夜、突然、プリンスという名でより知られている、プリンス・ロジャー・ネルソンの死を知ったのです。
プリンスは、39枚のアルバムを発売、1980年代、1990年代に時代を築いた黒人のアメリカ人アーティストです。
彼は、たくさんの曲を作りました。たとえば、「パープル・レイン」「レッツ・ゴー・クレイジー」「リトル・レッド・コルベット」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」「ガールズ・アンド・ボーイズ」「キス」「クリーム」「ゲット・オフ」。彼の曲に合わせて、世界中の何万という人々が踊ったものです。
7才からギターを持った「キッド」
1メートル60センチに満たない小柄な体格から、「ミネアポリスのキッド」というあだ名を持つプリンスは、ずいぶん早くから才能を示しました。7才のとき、初めての曲を作曲。ピアノと父親からプレゼントされたエレキ・ギターを演奏しました。
19才で、すでにミネアポリスでは有名でした。その存在感と、ロッカーようなギターの演奏で、聴衆を魅了しました。その後、アメリカのワーナー・ブラザーズと大きな契約を結び、成功しました。
1982年、MTVが、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」と、プリンスの「リトル・レッド・コルベット」を1日中流しました。
2人の世界的なスターは、天才的な曲と、全く違う世界でもって、対決したのです。当時は、レコードが売れる時代で、2人の男性は競争をしたのです。
自由で完璧なアーティスト
映画「パープル・レイン」と自身の音楽の売上で得たお金で、プリンスは「ペイズリー・パーク」を建設しました。ここで彼はレコーディングの仕事をしました。
素晴らしいミュージシャンである彼は、大胆にオリジナルな曲を発表し、楽しみました。過去の成功の影響を受けることなく、好きなように自分の音楽を作っていったのです。
1989年に、ティム・バートン監督の「バットマン」のオリジナル・サウンドトラックを担当し、再び、ヒットしました。ついで、「ダイアモンド・アンド・パールズ」を1991年に発表、その後、しばらくラジオから姿を消しました。
彼のレコード会社は、契約を更新せず、プリンスは、アーティストとしての名前を失い、ラブ・シンボルを使ったアーティストとなりました。
ファンは彼の音楽的実験をいつも支持していました。2000年のはじめ、彼が、ジャズに転向したときも。その後、プリンスは、インターネットで音楽を配信し、より自由な音楽作りをしました。
2004年に、アメリカの偉大なアーティストに送られる、ロックの殿堂入りをはたしました。彼は、音楽におけるイノベーターとして知られ、数々のアーティストに影響を与えました。
たとえば、今日、成功しているファレル・ウィリアムスもこの意見に異存はないでしょう。
プリンスのもっともよく知られたアルバム
1999(1982年)、パープル・レイン(1984年)、アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ(1985年)、パレード(1986年)、「サイン・オブ・ザ・タイムズ」(1987年)ダイアモンド・アンド・パールズ(1991年)
元記事 → Prince, le roi de la pop et du funk est mort
単語メモ
figurer 存在する
attristé 悲しんでいる
affirmer ~をはっきり示す
à longueur de ~の間中ずっと
s’affronter 相争う
なぜ、プリンスは亡くなってしまったのか、まだ死因は明らかになっていません。でも、もうお葬式は終わって火葬したようです。
亡くなるちょっと前に、インフルエンザが悪化して緊急入院した経過があるので、体調が悪かったのかもしれません。
以前紹介した、デヴィッド・ボウイと同じく、プリンスも多様な音楽性を持ち、何でもできるマルチ・アーティストでした。17才でデビュー以来、ずっとセルフプロデュースしていたと思います。
プリンスは本名で、ジャズ・ミュージシャンのお父さんが自分の芸名をそのまま子どもにつけました。今となっては全然名前負けしていませんでしたね。
彼は、曲がどんどん湧き出てくる天才で、1年に1枚のハイペースでアルバムを発表し続けていました。
1980年~90年代にものすごく稼いだので、最近はわりと自分の好きな音楽を追求し、インターネットで曲を配信していました。各方面でひじょうに評価が高い、いわゆるカリスマです。ファンもいっぱいいます。
彼の死を追悼し、日本ではゴールデン・ウィークに、プリンス自身が監督して、主演もしている(自身のツアーを収録)「サイン・オブ・ザ・タイムズ」が東京の渋谷にあるHUMAXで上映されるそうです。
こちらは2013年に再上映されたときの予告編です。
私も、昔、プリンスの曲をたくさん聞きました。本当に才能のある無二のアーティストだったプリンス。早すぎる死が惜しまれてなりません。素晴らしい音楽をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
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