2019年4月15日の夕方6時50分ごろ(パリ時間)、パリのノートルダム大聖堂で火災が発生し、尖塔が焼け落ちました。日本のメディアでも大きくとりあげあられていますね。
パリのノートルダム大聖堂(ノートルダム大寺院)は、ゴシック様式を代表する建物であり、パリの顔であり、フランスを象徴する建物の1つです。カソリックの信者はもちろん、ごくふつうの人も、毎年、たくさんこの聖堂を見に訪れています。
いまのところ、火事の原因は、修復工事をしていたどこかから火が出たから、と考えられています。つまり事故です。屋根裏から出火してどんどん火が大きくなりました。
今回は、Euronewsの火事のリポートを紹介します。
パリのノートルダム大聖堂の火事
Notre-Dame de Paris : l’incendie qui ravage un symbole…et le cœur des Français
ノートルダム・ド・パリ:フランス人のシンボルであり心のよりどころが、火事で焼けた
ニュースのトランスクリプト
Notre-Dame de Paris, cœur de France et centre du monde hier soir, ravagée par les flammes.
Les minutes semblent durer des heures.
Un spectacle de désolation auquel assistent des millions de Parisiens et de Français devant leur télévision, retenant leur souffle…
Jusqu’à l’effondrement de la flèche construite par Viollet-le-Duc.Il est 19h50 et l’un des symboles de Paris s’effondre.
Avec acharnement, quatre cents pompiers équipés de 18 lances à incendie sont engagés dans un combat avec les flammes.
Le feu est parti des combles, qui étaient au cœur d’un vaste chantier de rénovation qui serait la cause de l’incendie.
Très vite, le feu se propage au toit et dévore la charpente, longue de plus de 100 mètres, en moins de deux heures.
À cet instant, les télévisions du monde entier ont les yeux rivés sur l’un des monuments les plus visités au monde, sur le point d’être totalement défiguré par les flammes. Dans les rues de Paris, l’émotion est considérable.
On est un peu choqués. C’est 850 ans d’histoire. Voilà ça fait mal au cœur, c’est comme ça, on est tristes.
C’est un patrimoine culturel, historique, très très fort. Pour moi on a touché la France, c’est la France qui brûle.
I feel like Paris is all crying now, not just me.
Tôt ce mardi dans la nuit, le feu était maîtrisé et partiellement éteint.
Seuls des foyers résiduels demeuraient actifs.À l’intérieur, les dégâts sont considérables.
Il faut désormais sauver ce qui peut l’être. Selon le recteur de la cathédrale, la couronne d’épines et la tunique de Saint Louis ont notamment pu être sauvées des flammes.
Mais la reconstruction prendra des années. Dans la nuit, la famille Pinault, l’une des plus riches de France, a annoncé débloquer 100 millions d’euros pour la cathédrale.Jusque tard dans la nuit, ils sont restés des milliers dans la rue à observer silencieusement ou à chanter.
Comme si une part d’eux s’éteignait devant ce symbole français que les flammes embrasaient.
トランスクリプトはフランス語の学習サイト、iliniの字幕を参照しました⇒Ilini | France in shock after fire damages Notre-Dame cathedral
トランスクリプトの和訳
パリの中心であり、世界の中心でもあるパリのノートルダム寺院が、ゆうべ、炎に呑まれました。
その数分間は何時間にも感じられました。
悲痛なさまを、何万ものパリ市民とフランス人がテレビを通して見ていました。じっと息を詰めながら。ヴィオレ・ル・デュクが作った尖塔が崩れ落ちるまで。
午後7時50分、パリの象徴の1つが崩壊しました。
400人の消防士が18のホースを使って、火を消そうとがんばりました。
火は屋根裏から出ました。ここでは、大規模な修復工事が行われており、それが火災の原因だと考えられています。
またたく間に火は屋根に広がり、100メートル以上ある枠組みを2時間あまりで燃やし尽くしました。
この瞬間、世界中のテレビ局が、世界でもっとも人が訪れる記念構造物の姿に釘付けでした。それが、完全に火に飲まれてしまうさまを見ていたのです。
パリの街角で、人々は感極まっていました。
- うーん、ショックですね。850年の歴史があるんですから。心が痛みます。こんなふうになるなんて、悲しいです。
- (ノートルダム大寺院は)とても偉大な文化遺産で、歴史的な遺産です。私には、フランスがどうにかしてしまう感じがします。フランスが燃えているような。
- 私だけでなく、パリ中が泣いているような気がします。
火曜日の未明、ようやく火を抑えることができ、部分的に消火されました。残り火だけが燃えています。
内部には大量の残骸があります。救出できるものは、救出しなければなりません。
聖堂所属の司祭によれば、いばらの冠の刺(la couronne d’épines)と、聖ルイのニュニック(la tunique de Saint Loi)は、炎の中から助け出せました。
ですが、再建には何年もかかりそうです。
夜になって、パリで富豪のひとりである、ピノル家が1億ユーロを大聖堂のために差し出すと発表しました。
夜遅くまで、人々は道に立ち、静かに大聖堂を見守ったり、歌ったりしました。まるで、炎に包まれるフランスのシンボルの前で、自分たちの身体の一部が死んでしまったかのように。
単語メモ
ravager ひどく荒らす、大損害を与える
désolation 悲痛、悲嘆、困惑
retenir son souffle 息をつめる
flèche 教会の尖塔
Viollet-le-Duc ヴィオレ・ル・デュク(1814-1879) 19世紀のフランスの建築家。18世紀、廃墟となっていたノートルダム大聖堂を修復した中心人物。失われていた尖塔を復元しました。
river 固定する、リベット締めにする:しばりつける
être rivé sur 固定された
s’effondrer 崩壊する、崩れ落ちる
acharnement 激しさ、熱中
lance 散水ホースなどのノズル
résiduel 残留性の
demeurer ~のままである
combles 屋根裏(部屋) ☆複数形で
chantier 建設現場、工事現場、作業場
se propager 広まる
charpente 構造物の骨組み
patrimoine 世襲財産
maîtriser 抑制する、抑える
recteur 支聖堂付き司祭(カトリック)
débloquer 価格、融資などの凍結を解除する、統制を解く
s’éteignait < s’éteindre 火、明かりが消える;死去する、息を引き取る
embrasaient < embraser ~に火をつける、を燃やす
パリのノートルダム大聖堂について
Notre-Dame は直訳すると、「わたしたちの貴婦人」で、聖母マリアのことです。
フランス語圏各地に、聖母マリアにささげられた聖堂があり、すべてNotre-Dameと呼ばれます。
その中で一番有名なのが、パリにあるノートルダム大聖堂です。正式には、Cathédrale Notre-Dame de Paris という名前です。
人がノートルダムと言うとき、たいてい、このシテ島にある大聖堂をさしています。
1163にある司教が建設を開始し、1182年に内陣が完成しました。その後拡張工事をし、14世紀に現在の五廊式聖堂になりました。
ゴシック様式を代表する建造物で、1991年に、「パリのセーヌ河岸」として、周囲にある建物と一緒に、世界遺産(文化遺産)に登録されています。
900年近くの歴史がある建物というわけです。
火事になる前のノートルダム大聖堂
こちらは火事になる前の大聖堂の様子です。
2分。発話はなし。
火事の前とあと
こちらは火事の前とあとを見比べている動画です。
50秒
一部の人はすべて焼け落ちたみたいに言っていますが、しっかり焼けたのは、屋根(一部は13世紀に、残りは19世紀に作られたもの)です。ステンドグラスのバラ窓は3つ落ちてしまいましたが、ほかの窓は残っています。
尖塔は落ちましたが、ここはもともと修復作業中で、下のほうにあった16の彫像はたまたまとりはずしたあとだったので、無事とのこと。
中にあった聖遺物も無事です。
ノートルダム大聖堂のサバイバルの歴史
こちらはFrance Cultureの作った、「ノートルダム大聖堂のサバイバルの歴史(Notre-Dame de Paris : histoire d’une survivante)」を伝える動画です。
3分23秒。フランス語の字幕つき。
これまで、何度も攻撃されたり、火事にあったりしてきたけれど、そのたびに修復されて今日まできた、ということですね。
ヴィオレ・ル・デュクが尖塔を作る前は(18世紀、フランス革命のあと)、この大聖堂は打ち捨てられていたのです。
しかし、ヴィクトル・ユゴーが Notre-Dame de Paris(ノートル・ダム・ド・パリ、邦題:ノートルダムのせうし男)という小説を書き、この聖堂を復興させるべきである主張し、それがいまの大聖堂につながりました。
そんなわけで、これまでの長い歴史の中、何度もこわされ、修復されてきた大聖堂なのだから、今度もまた修復して、より力強い、ノートルダムになって返ってくる、と思っている人が多いです。
実際、マクロン大統領は「修復する」と言っておりますが、かなりの年月とお金がかかりそうです。
すでに篤志家の何人かがお金を寄付すると言っているし、海外からも、寄付の申し出があり、すでにかなり巨額なお金が集まっています。
ノートルダム大聖堂関連記事⇒王のパティシエとライブ「虎と小鳥のフランス日記」第2話
余談ですが、大聖堂が火事のあと、ユゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ」がフランスのアマゾンのベストセラーのトップになったそうです。
*****
消防士の中にけがをした人がいますが、一般人の中にはけが人はいません。
とても悲しいできごとでしたが、大聖堂は焼け落ちた、というより、一部がこわれた、と表現したほうがいいと思います。
ただ、見上げれば、いつもノートルダム大聖堂が目に入る毎日を送っていたパリの人にとっては、喪失感が大きいでしょうね。
ノートルダム大聖堂は石造りなのに、なんで燃えるのかな、と思うわけですが、屋根の内部は、木で枠組みを作っていたので、それが燃えてしまったようです。
枠組みが燃えたから、本体の支えがなくなって尖塔がガラガラと崩れ落ちてしまったんですね。
この記事へのコメントはありません。