フランスを代表する文豪、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)は、1802年の2月26日生まれ。
今から220年前に生まれた人です。
彼の生涯を3分で説明している手作り感あふれるアニメーション動画を紹介します。
ヴィクトル・ユゴー
3分27秒。フランス語の字幕あり。
トランスクリプション
Victor Hugo est né le 26 février 1802 à Besançon.
Son père est général dans l’armée napoléonienne. Sa mère est orpheline.
Dès 1816, il affirme sa vocation littéraire.
Je veux être Chateaubriand ou rien !
En 1827, Victor Hugo définit le drame romantique dans la préface de Cromwell et s’impose comme chef de file de l’armée romantique, la base du Cénacle.
Le 25 février 1830, sa pièce de théâtre Hernani déclenche une véritable guerre entre classiques et romantiques.
Parmi les soutiens de Victor Hugo l’on compte Théophile Gautier et Gérard de Nerval.
Victor Hugo publie aussi des recueils de poésie tels « Les Feuilles d’automne » en 1831 qu’il qualifie de vers comme tout le monde en fait ou rêve des vers de l’intérieur de l’âme.
En 1831, il publie « Notre-Dame de Paris » un roman à la Walter Scott dans lequel le Paris du XVe siècle et le destin tragique des personnages lui permettent de défendre ses idées politiques, philosophiques et le devoir de préservation du patrimoine.
En 1833, Victor Hugo triomphe avec « Lucrèce Borgia » un drame en prose spectaculaire.
Lucrèce s’impose comme héroïne emblématique du romantisme.
C’est au cours d’une lecture de « Lucrèce Borgia » qu’il remarque l’actrice Juliette Drouet.
Victor Hugo est marié à Adèle Foucher. Ils ont cinq enfants.
Délaissée, elle vit une courte relation amoureuse avec Sainte-Beuve.
Victor Hugo s’affiche avec Juliette Drouet pendant 50 ans.
Le 7 janvier 1841, Victor Hugo est élu à l’Académie française.
En 1843, Victor Hugo est brisé par la mort tragique de sa fille aînée. Léopoldine, noyée à Villequier avec Charles Vacquerie qu’elle venait d’épouser.
Il immortalise son souvenir dans son poème, « Demain dès l’aube ».
En 1845, le roi Louis-Philippe le nomme pair de France.
En 1848, il est élu député.
En 1851, après le coup d’état de Louis-Napoléon Bonaparte qui instaure le Second Empire.
Victor Hugo organise la résistance mais menacé, il se réfugie à Bruxelles.
En 1852, un décret l’expulse officiellement de France.
Pendant son exil à Jersey puis Guernesey, il publie de nombreuses œuvres dont « Les Misérables » en 1862.
C’est un roman magnifique et un plaidoyer pour une société meilleure.
Après la guerre de 1870 et la chute de l’empire, Victor Hugo est de retour à Paris.
Défenseur de la république, Victor Hugo est un héros national toujours engagé, que cela soit par son combat permanent contre la peine de mort, contre la misère.
Victor Hugo est aussi un des premiers défenseurs des droits de la femme qui œuvre contre l’obscurantisme pour un enseignement gratuit et laïc et pour le suffrage universel.
Célébré après son retour d’exil, il continue de défendre ses idées politiques et littéraires.
Le 22 mai 1885, Victor Hugo s’éteint à l’âge de 84 ans.
Il est le premier écrivain à bénéficier d’obsèques nationales.
C’est un hommage grandiose, un million de parisiens accompagneront le cortège de l’Arc de triomphe au Panthéon.
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Merci. Au revoir.
ユゴーの生涯・和訳
ヴィクトール・ユゴーは、1802年2月26日、ブザンソンで生まれました。
父親はナポレオン軍の将軍で母は孤児でした。
1816年、ユゴーは、文学の道に進むと宣言します。
「私は、シャトーブリアンになりたい。それ以外はない」
1827年、ユゴーは、「クロムウェル」の序文で、ロマン主義の戯曲を定義し、セナークルをベースにロマン主義軍団のリーダーを自認しました。
1830年の2月25日、彼の劇「エルナニ」をきっかけに、古典主義とロマン主義の戦いが始まりました。
ユゴーの支持者には、テオフィル・ゴーティエや、ジェラール・ド・ネルヴァルがいました。
ユゴーは、詩集も発表しました。たとえば、1831年の「秋の木の葉」です、この作品で彼は、詩は、誰もが作るもの、魂の中の言葉を思い描くものだと表現しています。
1831年、ユゴーはウォルター・スコット風の小説、「ノートル・ダム・ド・パリ」を発表。15世紀のパリを舞台に、登場人物の悲劇的な運命を描いたこの作品で彼は、自身の政治思想、哲学、国の遺産を保護する義務を主張しました。
1833年、ユゴーは、「リュクレス・ボルジャ」という壮大な散文の戯曲で成功をおさめます。
リュクレスは、ロマン主義を象徴するヒロインとなりました。
「リュクレス・ボルジャ」の朗読会で、彼は、女優、ジュリエット・ドルエと出会います。
ユゴーはアデル・フーシェと結婚していて、5人の子供がいました。
見捨てられたアデルは、サント・ブーヴと少しのあいだ恋愛関係になりました。
ユゴーはジュリエット・ドルエと50年間、行動をともにしました。
1841年1月7日、ユゴーは、アカデミー・フランセーズの会員に選ばれます。
1843年、彼は、長女、レオポルディーヌの悲劇的な死に打ちのめされました。彼女は、結婚したばかりのシャルル・ヴァクリーとヴィレキエで溺死したのです。
ユゴーは、娘の思い出を、「明日、夜明けとともに」という詩で、不滅のものにしました。
1845年、ルイ・フィリップ王が、彼を貴族に任命します。
1848年、ユゴーは、議員に選出されます。
1851年に、ルイ・ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こし、第2帝政を築いたあと、ユゴーは、レジスタンスを組織しますが、迫害され、ブリュッセルに亡命しました。
1852年、フランスから正式に追放されます。
ジャージー島からガーンジー島に亡命中、彼はたくさんの作品を発表し、そのうちの1つが、1862年に発表された「レ・ミゼラブル」です。
これはとても壮大な小説で、よりよい社会への切望を書いたものでした。
1870年の戦争(普仏戦争)と帝政の崩壊後、ユゴーは、パリに戻りました。
共和国を擁護するユゴーは、いつも、死刑や貧困と戦う国民の英雄でした。
ユゴーは、女性の権利を最初に擁護した一人でもあり、反啓蒙主義と戦い、教育の無料化や政教分離、普通選挙を支持しました。
亡命から戻ったあとも、自身の政治思想や文学思想を曲げず、名声を得ました。
1885年5月22日、ユゴーは84歳で亡くなりました。
彼は、国葬という栄誉を受けたはじめての作家です。
それは、100万人のパリ市民が凱旋門からパンテオンまで歩いて敬意をしめした壮大な葬儀でした。
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単語メモ
chef de file リーダー
s’imposer ~を自分に課す
le Cénacle セナークル、ロマン主義の結社。1820年代、ノディエ、次いで、ユゴーを中心に作られた。
délaissé 見捨てられた、なおざりにされた
s’afficher avec sa maitresse 愛人を連れて人前に出る、愛人とともにおおっぴらに振る舞う
pair 大貴族、重臣
un plaidoyer (人物、主義などのための)熱心な弁護
obscurantisme 反啓蒙主義
œuvrer 働く、仕事をする
le suffrage universel 普通選挙
人物などの補足
François-René de Chateaubriand シャトーブリアン(1768-1848)フランスの王政復古の時代の作家、政治家
Théophile Gautier テオフィル・ゴーティエ(1811-1872)フランスの詩人、小説家、劇作家
Gérard de Nerval ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)フランスのロマン派の詩人
Walter Scott ウォルター・スコット(1771-1832)スコットランドの詩人、小説家。ロマン主義作家。歴史小説が国外でも読まれた。
Juliette Drouet ジュリエット・ドルエ(1806-1883)フランスの女優、ヴィクトル・ユゴーの愛人
Adèle Foucher アデル・フーシェ (1803-1868)ユゴーの妻、アデルは、ユゴーの両親の友人の娘で、2人は子供のときからの知り合い。
Charles Augustin Sainte-Beuve シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804-1869)フランスの文芸評論家、小説家、詩人。近代批評の父。「ロマン主義文学史上、小説のユゴー、バルザックと並び称され、批評というジャンルを確立したと言われる」(Wiki情報)だそうですが、ユゴーやバルザックに比べると、そんなに有名ではないですね。
彼はアデルとの関係を小説の題材に使っています。
Léopoldine Hugo レオポルディーヌ・ユゴー(1824-1843)若くして亡くなったユゴーの長女。
彼女の死についてはこちらの記事をごらんください⇒明日、夜明けとともに(Demain, dès l’aube):レ・フランジーヌ(歌と訳詞)
Louis-Philippe Ier ルイ・フィリップ1生(国王)(1773-1850)オルレアン朝のフランス国王(在位: 1830年 – 1848年)
Louis-Napoléon Bonaparte ナポレオン3世(1808-1873)フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 – 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 – 1870年)。かの有名なナポレオン・ボナパルトの甥。
l’Académie française アカデミー・フランセーズ 詳しくは⇒アカデミー・フランセーズとは その1
ヴィクトル・ユゴー関連動画
ユゴーの生涯を子供向けにアニメーションにしたものです。
Les grands écrivains français : Victor Hugo (フランスの偉大なる作家:ヴィクトル・ユゴー)
6分34秒
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ユゴーは、亡命先に19年もいて、その間に「レ・ミゼラブル」を書いたのですね。不屈の精神の持ち主と言えましょう。
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