『恋はどんなもの』~クレマン・ジャヌカンで、ルネサンス時代の曲について書きましたが、きょうご紹介する曲もその時代の歌です。
タイトルは Tant que vivray 作者はクロード・ド・セルミジ(Claudin de Sermisy)
1527年の曲です。日本だとそろそろ室町時代の末期のころですね。
Tant que vivray 生きている限り
ではまず聞いてください。アカペラです。
1分42秒
混声四部合唱、うまいですね。
訳してみましたが、古いフランス語なのでわからないところもありました。だいたいこんな感じです。
「花咲く日々に生きるかぎり」とは、日本でいっぱんに使われている曲名です。私は、もとの歌詞にできるだけ忠実に訳しています。つまり、あまり「詩」にはなっていません。
詩:クレマン・マロ
Tant que vivray en âge florissant,
Je serviray Amour le Dieu puissant,
En faict, et dictz, en chansons, et accords.
Par plusieurs jours m’a tenu languissant,
Mais apres dueil m’a faict resjouyssant,
Car j’ay l’amour de la belle au gent corps.
栄える時代に生きている限り
私は愛という神に仕える
行いで、言葉で、歌とハーモニーで
何日もそうしていると、うんざりすることもある
でも、朝が来ると、また、喜びにあふれる
というのも、私はかわいい姿の女性に恋をしているから
Son alliance
Est ma fiance:
Son cueur est mien,
Mon cueur est sien:
Fy de tristesse,
Vive lyesse,
Puis qu’en Amours a tant de bien.
彼女との結びつき
それは私の約束
彼女の心は私のもの
私の心は彼女のもの
悲しみなんてくそくらえ
喜びよ万歳
だって、恋をしているって、うれしいことがいっぱい
Quand je la veulx servir, et honnorer,
Quand par escriptz veulx son nom decorer,
Quand je la voy, et visite souvent,
Les envieulx n’en font que murmurer,
Mais nostre Amour n’en sçauroit moins durer:
Aultant ou plus en emporte le vent.
彼女に仕えて、敬意を払いたい時
彼女の名前を美しく書きつらねたい時
彼女を見つめ、しばしば訪れるとき
人はうらやましそうに、小さな声でぼそぼそ言うだけ
でも私たちの愛は消えることはない
今までみたいに、これからも、風がそういう人たちを吹き飛ばす
Maulgré envie
Toute ma vie
Je l’aymeray,
Et chanteray:
C’est la premiere,
C’est la derniere,
Que j’ay servie, et serviray.
ねたみにもかかわらず
私の生涯ずっと
彼女を愛する
そして歌う
彼女は最初で
最後の
私が、仕えてきた、そしてこれから仕える人だと
単語メモ
le Dieu puissant 神、全能者
gent かわいい、愛らしい
fy=fic (牛、馬の比喩にできる)いぼ
lyesse=liesse 喜び
クロード・ド・セルミジ(1495 – 1562)は先日紹介したジャヌカンと並び、16世紀の有名なシャンソンの作家。宗教音楽も作っています。ジャヌカン同様、ルイ12世やフランソワ1世に仕えて、曲を作っています。
この曲は、人気があって、よく歌われています。また、ピエール・アテニャン(Pierre Attaingnant)という人がリュートの独奏に編曲しています。
こちら
リュートは中世のヨーロッパでよく使われた弦楽器です。ごらんのようにゆで卵をわった形。
ギターと同じように、すごく落ち着いた、しっとりした演奏もできるし、踊りの伴奏のように、にぎやかに弾くこともできます。
こちらは、リュートと歌をあわせたにぎやかなバージョンです。
バレンタインのコンサートみたいですね。
私はバロック音楽が好きで、高校生のころ、毎朝、NHK-FMの「バロック音楽のたのしみ」を聞いていました。皆川達夫が解説していた番組です。
その番組でリュートの演奏もたくさんかかりましたね。今回は、久しぶりにリュートの調べをきいて、なつかしかったです。
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