スタジオジブリの映画、『かぐや姫の物語』について書かれた記事の和訳の5回め(最終回)です。
記事のタイトルは
Le magnifique « Conte de la princesse Kaguya », le nouveau Ghibli
素晴らしい『かぐや姫の物語』、ジブリの新作
フランスでは6月25日から公開されています。
きょうは、かぐや姫の独立心の強い性格について。
素晴らしい『かぐや姫の物語』、ジブリの新作
Une princesse indépendante 自立したお姫さま
結婚によって社会的地位を上っていくことや、歌がすべてではないということを姪子さんに説明できる映画がないと思っているのなら、まさしくこの映画はうってつけです。
映画に登場する日本のたくさんの伝統、たとえば、歯を黒く塗ることなどは、音楽同様、すごく興味をそそるでしょう。
特筆すべきなのは、かぐや姫というキャラクターが、娘の幸せを願って、姫を「かわいい良きお姫さま」にしたい父親のプレッシャーをはねのけ、自分を責めることをやめることです。姫は、愛のない結婚を拒否し、生まれつき恵まれているのに、家柄など意に介さないのです。
「かぐや姫の物語」は父親を罰してはいません。父が娘のことをすごく愛しているのは明らかです。ただ、方法を間違えているのです。
私はこの作品がフェミニストの映画だとか、女性の解放を推し進めるものだとまでは言いません。日本のお話ですし、フランス人としての私の解釈は文化的背景のせいで、偏見になってしまうのは避けられないからです。
Disons tout simplement qu’à l’heure où les femmes japonaises refusent de plus en plus leur rôle traditionnel, il n’est peut-être pas totalement incongru qu’un film mettant en scène une femme aussi indépendante sorte en salles.
Mais cette indépendance a un prix, que Kaguya est prête à payer, mais qui fait que ce film ne peut décidément pas être vu comme une apologie à l’occidentale des libertés féminines.
日本の女性が昔ながらの役割をどんどん拒絶している時代に、独立心の強い女性が家を出るシーンのある映画は、的外れなものではないだろうとだけ言っておきましょう。
このような独立心のためにかぐや姫は代償を払うつもりでいます。でも、だからと言って、この映画が、西洋流の女性の自由を求めたことを擁護していると見ることは、断じてできないのです。
元記事 → Le magnifique « Conte de la princesse Kaguya », le nouveau Ghibli
映画の概要については、初回の記事をどうぞ⇒『かぐや姫の物語』~その1
単語メモ
éveiller 呼び起こす
culpabiliser 自責の念にかられる、自分を責める
inné 生来の、生まれながらの
en tant que ~としての
à l’heure où+直接法 ~するときに
A l’heure où il partait, moi je suis rentré.
彼が出かけようとしていたときに、僕は戻ってきた。
incongru 無作法な、無礼な、非常識な、とっぴな
apologie 弁明、養護、賞賛
この箇所はわかりにくく、私の訳文もあまりよくないですね。
要するに、筆者は
「日本女性らしからぬ独立心のあるかぐや姫が出てくる映画は今の日本の世相と関係がありそうです。でも、フェミニズムの映画ではありません。」
こう言っているのだと思います。
この映画を見ていないので、何とも言えませんが、自分らしさを大事にして、家柄など気にしない主人公が出てくるのは別にめずらしくないですよね?
それは西洋も東洋も関係ない気がします。少し前にご紹介した、「アナと雪の女王」に出てくるエルサも、最後には「雪の女王」となり、自分らしさを解放します。それがこの映画のヒットにつながったと思いますし。
「アナと雪の女王」のエルサの歌⇒歌と訳詞:アナと雪の女王「レット・イット・ゴー」のフランス語版
強い女性が出てくる映画はいつも求められているのではないでしょうか?
「かぐや姫の物語」の記事の和訳、これにて完結です。おつきあいありがとうございました。
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