マリー・アントワネットが愛好したチョコレートドリンクについて調べてみました。
「虎と小鳥のフランス日記」の第101話でマリー・アントワネットがチョコレート好きだった、という話が出てきました。
教材の該当箇所はこちらです。
Mélange à du sucre, le chocolat devient alors une boisson très appréciée.
En France par exemple, Madame de La Fayette, Madame de Pompadour et Marie-Antoinette font partie de ses adeptes.
砂糖を加えられ、チョコレートはとても人気のある飲み物になりました。
たとえば、フランスでは、ラ・ファイエット夫人、ポンパドール夫人、マリー・アントワネットがその愛好者です。
この人たちはいったいどんなチョコレートを飲んでいたのでしょうか?
チョコレートはスペインから入ってきた
パリのチョコレート博物館「虎と小鳥のフランス日記」第101話~チョコレートの歴史で書きましたように、フランスにスペインからチョコレートが入ったのは1615年です。
まず、ルイ13世に嫁いだスペインの王女のアンヌ・ドーリッシュ、次に、ルイ14世に嫁いだ王女マリア・テレサが、チョコレートを持ってきました。
une boisson とあるように、当時のチョコレートは今のような固形のチョコレートではなく、飲み物です。
さて、王室でチョコレートを振興したのはルイ15世です。
33歳
肖像画を見ると、なかなかハンサムで賢そうなルイ15世。
彼は、あまり政治に興味を持てなかったようで、趣味の狩猟や動物の世話を追求していました。ついでに女性好きでもありました。
そして、チョコレートが大好きで、自ら台所に立ち、チョコレートドリンクを作っていました。
よくわかりませんが、たぶん王様が台所でチョコレートを用意するというのは、当時としては、かなり特別なことだと思います。
彼は自家製レシピも考案しており、ここにのっています⇒Le chocolat à Versailles – Château de Versailles
今のココアと違うのは、卵黄を混ぜるところです。削ったチョコレートと水を混ぜて、コーヒーメーカーで熱して、そこへ卵黄を入れ、沸騰させない程度に加熱。そのあと、砂糖、バニラなどを入れたのだと思います。
卵黄を入れるのは今のチョコレートムースに似ていますね。
チョコレートと卵黄の合わせ技で、滋養がありそうなドリンクです。
マリー・アントワネットはチョコレート職人を連れてお嫁入り
マリー・アントワネットは1770年、14歳のとき、オーストリア(神聖ローマ帝国)からフランスのルイ16世のもとに嫁ぎます。このとき、おつきのチョコレートを作る人(chocolatier)も連れて来ました。この人は『王妃のチョコレート職人』« Chocolatier de la Reine » と呼ばれました。
おでこの広い13歳のマリー
アントワネットのチョコレート職人は、王妃のために、オレンジの花を入れたものや、甘いアーモンドを入れたチョコレートドリンクを考案。
当時、チョコレートは飲料しかなかったのですから、工夫のしどころは何を混ぜるかというところとトッピングです。
卵白を泡立てたものをのせ、パウダシュガーをかけ、さながら今のスターバックスのドリンクのようにおしゃれに仕立てたのを、素敵な陶器のカップに入れて供しました。
こちらは当時マリー・アントワネットが飲んだチョコレートの作り方を再現している動画(1分30秒ぐらいから)
Les pêchés mignons de Marie-Antoinette
3分25秒
★pêche mignon は ちょっとした好み、弱み、悪癖
甘党のマリー・アントワネットの朝ごはんはこのチョコレートドリンクと甘いブリオッシュでした。
チョコレートをサーブする召使の絵です(1744年の絵です。マリーの召使ではありません)。
チョコレートを運ぶ娘 «La fille de chocolat»(リオタール Jean-Étienne Liotard 1702-1789)
メイドなので、服が質素ですが、かわいいですね。個人的にはこういう服のほうが好きです。
あたまにシャワーキャップみたいなのをしてますが、髪の毛がチョコレートに入っちゃだめなのでしょう。
お水も一緒に運んでいますね。
マリー・アントワネットのピストルとは?
マリーが結婚して7年ぐらいたったある日のことです。王室薬剤師のスルピス ドゥボーヴ(Sulpice Debauve)という人がマリーに薬を持参しますと、マリーは「こんな苦いお薬は飲めませんわ」と、こぼします。
「ウイーンでいただきましたチョコレートは、それはそれは甘くておいしゅうございましたの」とマリーが言うので、ドゥ ボーヴは、それならば、と考案したのが、薬を包むチョコレート(オブラートのチョコレートバージョン?)。
これがもとになったという、今も売っているお高いチョコレートが「マリー・アントワネットのピストル」と呼ばれる商品。
これね↓
画像はマリー アントワネットのピストルより拝借しました。
アマゾンでも購入可能。
当時は固形チョコレートはなかったので、この薬飲み用チョコレートは、長時間、固形を保てるものではなかったと思います。
最初からチョコレートに溶かして飲むという方法はなかったのでしょうか? 素朴な疑問です。
※トップの絵の説明:La famille du duc de Penthièvre en 1768 別名 “La Tasse de chocolat” Jean-Baptiste Charpentier le Vieux, 1728-1806
真ん中がマリー・アントワネット
ラファイエット夫人とポンパドール夫人について
ラファイエット夫人(1634-1693)は「クレーブの奥方 la Princesse de Clèves」で知られる作家。
ポンパドール夫人はルイ15世の愛妾。現在は髪型の名前になっています。美人だったので、たまたま何かのサロンで宮殿に行ったとき、ルイ15世に見初められ、そのとき、すでに人の妻だったんですが、別居して、王室に入りました。
彼女は美しいだけでなく、教養もあり、文学、美術好きで、サロンを開いて、芸術家を後援しました。政治にも干渉し、その浪費が王室の財政を圧迫したというなかなか興味深い人物ですが、きょうはマリー・アントワネットの記事なので、あまり詳しくはふれません。
いかがでしたか?
チョコレートに歴史あり、ですね。
チョコレートはひじょうに高価だったので、当時は王侯貴族しか飲むことはできず、庶民はコーヒーを飲んでいたそうです。
penさんは、いつも情報量がすごいですね!!!
そしてとても見やすいレイアウトです。
勉強になります^^
ミミさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
なんか、書いてるとどんどん長くなっちゃって。
レイアウト、見やすいですかね。
また遊びに来てくださいね。
フランス、そしてフランス語に興味を持ち始めたのはマリーアントワネットがきっかけでした。
大学は法学部を選んでしまったけど
フランス語への興味は増して、アテネフランセに通ったり
一から勉強したこともありました。
ペンさんのサイトは語学だけでなく文化も楽しめて
とても楽しんでます。
私も子供が小さいとき、粉薬をチョコレートに溶かして
飲ませました。オブラートってすごいアイディアですね(笑)
Mary Kさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
マリー・アントワネットの記事、読んでくださってありがとうございます。
へ~、お子さんの薬をチョコレートに溶かしていたんんですか?
ルイ16世のおかかえ薬剤師と発想は同じようなものかも。
マリー・アントワネットってよっぽど甘党だったんでしょうね。
これからもよろしくお願いします。
ただ今、フランスのお色目に凝っております。
ポンパデュール夫人のお洋服の色目とか素敵ですよね。
彼女のお顔も大好きです。美人さん。
チョコレートに、フランスの色に、教養あるポンパデュール婦人。
タイムスリップして、ちょっとだけ覗きに行ってみたいです。
香水のにおいで凄いだろうな……。
ママリーヌさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
フランスの色目といってもいろいろありますが、繻子のような色ですか?
Madane de Pompadour, そうですね。美貌がルイ15世の目をひいたようです。
そういえば、香水の記事を書いたことがないのですが、この時代、フランスの人は
お風呂に入ってなかったみたいです。
ソフィア・コッポラ監督の映画では、マリー・アントワネットお風呂みたいなのに入っていたんですけど・・。
かわりに香水まき散らして体臭を消していたとか。
フローラルな香りの香水を作らせたのはマリー・アントワネットが最初だったそうですよ。
香水のことも調べてみるとおもしろそうですね。