11月11日のリメンブランスデイに関する記事の後半を紹介します。
前半では、第一次世界大戦の戦没者追悼記念日である、リメンブランスデイにイギリスやイギリス連邦の国々の人びとが、ケシの花(ポピー)を胸に飾ること。
そして、カナダの軍人、ジョン・マクレーの書いた、”In Flanders Field” (フランダースの野にて)という詩を紹介しました。
後半は、このケシの花の造花(ポピー)が、寄付金集めに使われるようになった由来が書かれています。
前半を読んでいない方は、ぜひ先に読んでください⇒11月11日はリメンブランスデイ(戦没者追悼記念日)。赤いケシの花の日です(前編)
Le 11 novembre, c’est Poppy Day ! 11月11日はケシの日です
Souvenirs et dons 追悼と寄付
C’est une Française, Anna Guérin qui a eu l’idée de produire ces petits coquelicots afin de recueillir des fonds pour rétablir les régions européennes dévastées par celle que l’on appelait alors “la Der des Der” et qui ne le fut malheureusement pas. Les premiers petits coquelicots furent distribués en novembre 1921. Une tradition qui n’a jamais cessé.
この小さなケシの花(ポピー)を使って、戦争によって打撃をうけたヨーロッパの地域の復興のためのお金を集めようと思いついたのは、アン・ゲランというフランス人女性です。
この戦争は、la Der des Der(最終戦争)と呼ばれました。残念ながらそうはなりませんでしたが。
1921年の11月に初めてケシの花が配布され、この伝統はずっと続いています。
ポピーは慈善事業の寄付のためにどんどん使われるようになりました。たとえばあらゆる種類の政治家や、テレビのキャスターがポピーを誇らしげに身につけ、「戦争のことを覚えているし、また寄付もした」と示しています。ポピーはロンドンの工場で身体障害者の人たちによって作られています。
Solidarité envers les vétérans et leurs familles 退役軍人と家族への連帯
ポピーを買う大部分の人は募金者であり、退役軍人です。売上はおもに、戦争で怪我をした兵士のリハビリテーションセンターの資金になり、退役軍人とその家族をサポートするためにも使われます。
元記事 → Le 11 novembre, c’est Poppy Day ! | euronews, monde
単語メモ
la Der des Der 最後の戦争、これを限りの戦争 英語は The war to end all wars
第一次世界大戦のことで、大戦後に流行した言い方です。しかし、実際は第一次世界大戦は「戦争を終わらせる戦争」にはならなかったので、現在はシニカルな文脈で使われるいことが多いです。
der は 口語で「びり」という意味。
arborer これみよがしに身につける、見せびらかす
ポピーの歴史
ジョン・マクレーは友人の死に際して、In Flanders Field という詩を20分で書き上げたものの、本人は気に入らず、紙を丸めて捨てようとしました。しかし、友だちのすすめで雑誌に投稿。
結局、1915年にPunchという雑誌にのり、話題になります。
アメリカのモイナ・マイケルというニューヨークのYMCAの病院に勤めていた女性が、彼の詩を読み、赤いシルクでポピーを作って胸に飾り、死者を悼みました。
フランス人女性のアン・ゲラン(やはりYMCAの機関の仕事をしていた)がアメリカにやってきて、モイナ・マイケルのやっていることに触発され、ケシの花を売って寄付金を集めることを思いつきます。
この経過について説明しているカナダのニュースクリップがあるので、よかったらYouTubeでごらんください(英語です)
フランダースに咲くケシの花
フランダースは、「フランダースの犬(1872)」のフランダースです。この話の舞台は19世紀、ベルギー北部のフラーンデーレン(フランドル)地方。現在のアントワープのそばの村がモデルだと考えられています。
「フランダースの犬」についてはこちらに詳しく書いています⇒『フランダースの犬』はフランス語で?
この物語に出てくるおじいさんは、若いころ、ナポレオン戦争の兵士であり、そのとき足をけがしています。ナポレオン戦争とは1803年から1815年まで、ナポレオン1世が率いていたフランスとその同盟国が、イギリスを始めとしたヨーロッパの列強と戦った戦争です。
フランス革命後の混乱期に始まり、ヨーロッパのあちこちを舞台に激戦が繰り広げられました。ナポレオンが勝ったときもありましたが、結局ワーテルローの戦いで彼は完全に敗北しました。
ワーテルローは英語でウォータールーです。ネロのおじいさんはこの戦いをしていたと思われます。
ナポレオンが戦争をした荒れ地は、戦争前はケシの花はなかったのに、戦争直後にケシが咲くようになったそうです。ジョン・マクレーが詩を書いた1915年のほぼ100年前のできごとです。しかし、戦争が終わってしばらくするとまたケシの花は減少して行きました。
第一次世界大戦のとき、フランダースの野でケシがたくさん咲いたのは、主として、銃撃によって土壌に石灰がたまったからだそうです。兵士がばたばた倒れているときは、ケシの花もたくさん咲くのです。
しかし、戦争が終わってしばらくすると、また咲かなくなります。戦場に倒れる兵士と赤いケシの花は密接な関係があるのですね。
■リメンブランスデイに関係のある過去記事■
考えてみると、ヨーロッパの国々はずっと以前から領地の奪い合いをしていました。これはヨーロッパに限りませんが。戦争のない世界はいつか来るのでしょうか。そんな日が来ることを願って、私もポピーを胸につけています。
ポピーに限らず植物の種は、地中に埋もれるとそのまま何年も眠りつづけるという特性をもっているそうですね。植物の本では、「撹乱」という言葉で説明されていますが、火山、洪水、地震津波などによる激変によって、その地中の種が突然めざめることがあるそうです。戦争による攪乱、塹壕や砲弾による原野の掘り起こしが、眠っていたポピーの種を目覚めさせ、戦争という人間の愚かな行為の前に真っ赤な原野となって現われたのは、神の啓示のようですね。
三宅修次さま
はじめまして。penです。
ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
なるほど、「撹乱」というのがあるのですね。
戦場に赤いポピーが咲き乱れたのは
確かに神の啓示のようですね。
また、自然の力も感じます。
自然の前では、人間はちっぽけな存在ですね。
コメント、ありがとうございました。
また、