先週からクロード・フランソワ(1939年-1978年)の春の喜びを歌ったポップスをご紹介しています。
タイトルは Y’a le printemps qui chante
きょうはその2です。
落ち込んでいるあなた、私の家の庭に来てください。
花々が咲き乱れ、春は歌っています。
という歌です。
春は歌うよ:クロード・フランソワ
では、まず歌をお聴きください。きょうはライブの動画にしました。ちょっと音声が小さいですが。
3分51秒
クロード・フランソワの愛称はクロクロ(Cloclo)
うしろで踊っているお姉さんたちはレ・クローデット(Les Clodettes)と呼ばれていました。クローゼットではないので気をつけてください。
★Y’a le printemps qui chanteの歌詞はこちらです⇒Paroles Y A Le Printemps Qui Chante – Claude François
同じ春を歌っていますが、歌と訳詞:3月の水~ジョルジュ・ムスタキにくらべるととてもシンプルな歌詞です。
きょうは3フレーズ目から訳してみます。その分だけオリジナルの歌詞を引用します。動画では2分ぐらいのところからです。
サビの部分は前回と同じです。
Y’a le printemps qui chante 和訳
Y’a le printemps qui chante
春は歌うよ
Le premier vent du matin sera ton ami
Quand tu iras t’asseoir au jardin
Et puis le temps passera et tu me diras
Tout mon passé il est loin déjà
Tu ouvriras une fenêtre
Un beau matin, tu vas renaître
朝一番の風がきみの友だちになるだろう
きみが、庭に行き、座ったときに
それから、時が過ぎ、きみは僕に言うだろう
きみの過去はすべて、もう遠くへ行ってしまったと
きみは窓をあけるだろう
ある美しい朝、きみは生まれ変わるんだ
家においで、春が歌っているよ
家においで、鳥たちはみんな君を待っている
リンゴの木は花ざかり
わくわくするね
泣いてる君、
街にいちゃだめだ
家においで、春が歌っているよ
家においで、鳥たちはみんな君を待っている
大きな青い池の隣で
そして田舎の道の上で
僕たちは二人きりで進む、われを忘れて
文法ポイント
この歌はひじょうに単語が平易です。きょう訳したところも基本的な単語しか出てきません。
ポイントは時制だと思います。すべて未来形になっています。
庭にきて座れば、君は過去を忘れて生まれ変わる、と歌っていますが、まだ起きていないことなので、単純未来という時制を使っているのですね。
未来の形をあらわすのに近接未来と単純未来の二つの形がありますが、両方とも出てきています。
以前ラジオ講座で杉山先生がこの二つの時制の違いを述べておられました。
1.近接未来形 aller+不定詞
今の状態からの自然な成り行きを述べる。2.単純未来
今の状態とは無関係に起こるはずのことを述べる。主語が tu, nous, vous のときは、命令のニュアンスを帯びます。
決意や約束を表すこともあります。
・・・・・「まいにちフランス語」テキスト2011年6月号P82より
*不定詞は不定法(動詞の原形、辞書にのっている形、活用していない形)です。
コーヒーを飲み過ぎて眠れそうにないと言うときは近接未来を使い、
Je ne vais pas réussir à dormir.
いつか、自分は会社を経営するぞ、とうときは単純未来
Un jour, je dirigerai une entreprise.
「近接未来」という名前なので間違いやすいのですが、その未来が今という時間と近いか遠いかということはこの二つの使い分けには関係ありません。
動詞のチェック
歌詞に出てきたそれぞれの動詞の不定法を書き添えておきます。
単純未来
以下のことは「都会をはなれ、僕の庭にきたら」起きることです。
厳密にいうと、ほかにも条件がありますけど。
たとえば、朝一の風に吹かれたら、といったようなことです。
sera < être ~になる 主語は3人称(風)
iras < aller ~へ行く 主語は2人称(きみ=tu)
passera < passer 過ぎる 主語は3人称(時間)
diras < dire 言う 主語は2人称(きみ=tu)
ouvriras < ouvrir 開ける 主語は2人称(きみ=tu)
近接未来
庭に来て、風にふかれたり、お花をみれば自然な成り行きとして、
vas renaître 生まれ変わる 主語は2人称(きみ=tu)
春は歌うよ・カバーバージョン
ポール・モーリアの演奏で『春は歌うよ』をお聞きください。
3分16秒 静止画です。
いかにもポール・モーリアという感じですね。
★関連記事もどうぞ
⇒1週間の始まりは月曜日:フランス語の暦(11) 『陽のあたる月曜日』を紹介しています。
⇒歌と訳詞:アレクサンドリ・アレクサンドラ~クロード・フランソワ
⇒Comme d'habitude(いつものように) クロード・フランソワ・聴き比べ
クロード・フランソワの経歴についてはその1(⇒歌と訳詞:『春は歌うよ』クロード・フランソワ その1)に書いています。
さて、私はここまで書いて考えました。
春は自然の再生のときで、人間もまた生まれ変われると信じることができる時期です。
まあ、人間、気持ちの上で、生まれ変わろうと思うときに季節は関係ありません。でも特に周囲できれいな花が咲き始めれば、そういう気分になりやすいです。また、日本の場合、新年度は春に始まるためますます新たに何かやろうという気分になりやすいです。
春になれば生まれ変わる・・・これは近接未来なのか単純未来なのでしょうか。
通常、自然の成り行きとして春は冬の次に来るから、近接未来?それとも、春が来るという条件のもとに生まれ変わるから単純未来?
これは話者がその状況で春になることをどうとらえているかによって違うのでしょうね。
春が来ることがごく自然に感じられる状況なら近接未来。とても春なんて来そうにないと思っているなら単純未来でしょうか。
未来形一つとってもいろいろ考えてみるとおもしろいですね。
成り行きなのか、決意なのか?
とても「単純」とは言い切れません。
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