当ブログでは、ごくまれに、私でも訳せそうなフランス語の詩を訳しています。
きょうは、ロベール・デスノスという詩人の、Dans un petit bateau(小さな舟の中で)という詩を紹介します。
短いし、使われている単語はとても簡単なので、初心者でも楽しめます。
Dans un petit bateau
Dans un petit bateau
Une petite dame
Un petit matelot
Tient les petites rames
Ils s’en vont voyager
Sur un ruisseau tranquille
Sous un ciel passager
Et dormir dans une île
C’est aujourd’hui Dimanche
Il fait bon s’amuser
Se tenir par la hanche
Échanger des baisers
C’est ça la belle vie
Dimanche au bord de l’eau
Heureux ceux qui envient
Le petit matelot.
小さな舟に
小さな淑女
小さな水夫が
小さなオールを手にしている
2人は出かけていく
静かな小川の上を
つかの間の青空の下を
島で眠るのさ
きょうは日曜日
遊ぶのにはよい天気
腰に手を回し
キスをする
これこそ美しい人生
日曜日、水辺で
人もうらやむしあわせ
小さな水夫
単語メモ
matelot (下級)船員、水夫、水平
rame 櫂(かい)、オール
ruisseau 小川
passager 通りすがりの、一時滞在する;つかの間の、移ろい行く、はかない
hanche 腰
ceux qui envient うらやましがる人たち この ceux qui が誰のことが具体的にわからなかったのですが、舟にのっていないふつうの人たちである、という解釈のもとに訳しました。
日曜日のささやかな幸せをうたっている詩です。
小さな舟で、関連動画
この詩をアニメーションにしたものです。歌うように詩を語っています。
2分57秒。
ロベール・デスノス(Robert Desnos)について
ロベール・デスノス(1900-1945)はフランスのシュールレアリズムの詩人、ジャーナリスト、作家、脚本家です。
彼の詩は、以前、Une fourmi de dix huit mètres(18メートルのアリ)というのをとりあげたことがあり、そちらの記事にプロフィールを書いています⇒フランス語の数字【第20回】~18(ディズュイット)
44歳で亡くなっていますが、戦争がなかったら、もっと長生きしていたでしょう。
彼は、レジスタンス運動をしていて、ナチにつかまり、あちこちの収容所をたらい回しにされました。
最後は、当時のチェコスロバキア、テレジンにあった収容所で腸チフスで亡くなります。
彼が亡くなったのは、1945年6月8日で、すでにこの収容所は解放されて数日たっていましたが、まだまだ混乱していて、治療を受けられない劣悪な環境だったのでしょう。
以前書いたことと重複する部分もありますが、以下に、簡単に彼の生涯を紹介します。
生まれたのは1900年7月4日で、お父さんは裕福なカフェのオーナーでした。
しかし、彼は父親のようなブルジョアにはなりたくなくて、文学を志しました。
1918年、18歳のとき、はじめての詩が La Tribune des jeunes にのります。
その後、バリのダダイストの仲間に加わります。アンドレ・ブルトン(André Breton)たちと活動をともにします。
1920年代:シュールレアリズム
モロッコで2年間の兵役をつとめ、1922年パリに戻り、シュールレアリズム運動をする一人として影響力を持ち始めます。
催眠状態で夢の口述をして、有名になりました。よく知りませんがトランス状態に入って、自動的に詩を書いてしまうという特殊なことができたのです。
人がたくさんいるカフェの中で、目をとじただけで、トランス状態に入って、詩を語ったとか。
この頃、詩や評論、エッセイなどを書くだけでなく、シュールレアリズムの雑誌を発刊しました。
彼の作風は、遊び心に満ちていて、文法を無視したものが多いです。まあ、シュールレアリズムですから、ふつうのわかりやすい詩ではないでしょう。
1920年代は歌手のYvonne George(イヴォンヌ・ジョルジュ)とつきあっていて、彼女への愛をうたった詩もたくさんあります。
1930年代:社会性にめばえる
1930年代は、シュールレアリズム運動から離れます。アンドレ・ブルトンと方向性が変わってしまったからです。
あいかわらずたくさんの詩を書いていましたが、ラジオ番組の脚本を書いたり、ジャーナリストとしての仕事をするようにもなりました。
ブレノスはそれまでは、わりと自分のことを書いていたというか、自分の心の中にある無意識の部分を詩に書いていたのですが、30年代以降は、だんだん社会のことに興味をもつようになりました。
よって、大衆にむけて、以前より、もっとわかりやすいリリカルな詩を書くようになります。
画家の藤田嗣治(ふじたつぐはる)の奥さんだったユキ(Youki Foujita)と恋仲になったのもこの頃です。彼女への思いは死ぬまで続きます。
彼は詩がどんどんわきでてくるタイプなのか、ずっと多作でした。1936年には毎日、1つずつ詩を書いたそうです。当時、子供のための詩も書いていました。
1939年に第二次世界大戦が始まると、徴兵され戦場に行き、戦場で見聞きしたことを、雑誌や新聞に寄稿しました。
1940年代:レジスタンス運動と死
1940年のはじめごろは、レジスタンス運動をしていて、新聞社で得た情報を、レズスタンスの闘志に伝えるといったことをしており、それがナチに発覚し、1944年にゲシュタポにつかまります。
このあと、さまざまな強制収容所をたらい回しにされ、前述のとおりチェコスロヴァキアのテレジン収容所で亡くなります。
ロベール・デスノスの詩を訳している方がいるので、興味のある方はごらんください⇒ロベール・デスノス(Robert Desnos):詩の翻訳と解説
堀口大學が彼の詩を訳した本が昔あったようですが、現行で手にはいる、彼の詩集(翻訳版)はないみたいです。日本のアマゾンにはありませんでした。
ぱっと見、英語のアンソロジーみたいなものがたくさんありました。こちらは彼の詩(フランス語の原文)と英訳をのせた本です。
図書館や古本屋にはあるかもしれませんね。もちろん、フランスのアマゾンあたりで買えば全部フランス語の本が手に入りますが。
きょう紹介した Dans un petit bateau は、”Destinée arbitraire”という詩集に入っています。
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日曜日にのんびりボートにのるのって、確かに人生の幸せの1つですね。
私、歌詞はよく訳していますが、詩はあまり訳していません。「訳すのがとてつもなく難しそうだ」、という苦手意識があるからです。
アメブロ時代に、アポリネールの「ミラボー橋」を訳したことがありますが、えらい苦労をした記憶があります。
あの記事、大変だったので、ちょっと手直しして、このブログに移そう、と今思いました。
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