「虎と小鳥のフランス日記」のバックナンバー、今週は第21話の復習をしました。
この回は、毎年10月の第2週に開催されるモンマルトルのブドウ収穫祭(les Vendanges)が舞台です。vendange は「ワイン用のブドウの取り入れ、収穫」、複数形で「収穫祭」という意味。
モンマルトルの丘に、5日間、フランス各地からやってきた食材が並び、中世の衣装を来た人のパレードや花火で盛り上がります。
2013年の同じイベントが、「虎と小鳥」で取り上げられたのを、覚えていらしゃるかもしれませんね。
⇒ モンマルトルの収穫祭 2013年 その1 とりどりの食材と、楽しそうに食べてる人
⇒ モンマルトルの収穫祭 2013年 その2 ハチミツとワイン
第21話は、モンマルトルにあるブドウ畑の見学ツアーの様子。ここで収穫されたブドウから、ル・クロ・モンマルトル(Le Clos Montmartre)というワインが作られているのです。
ツアーのガイドはワインの醸造を研究する学者のおじさん。アカデミックな構文の難しいフランス語で説明してくれますが、内容はなかなか興味深いです。
きょうのメニュー
それでは、復習、行ってみよう!
3つのキーフレーズ
〇〇、それは~です
モンマルトルは殉教者の丘と言ってもさしつかえありません。
On peut dire que Montmartre, c’est le mont des martyrs.
すなわち
ブドウ畑の歴史を話しているところで、
HBM、つまり「低家賃住宅」(豆知識参照)
«HBM», c’est-à-dire «Habitation Bon Marché»
遠慮しないでください
ひととおり、説明が終わったあと、
ご遠慮なく
Vous n’hésitez pas
キーフレーズの解説
A, c’est B
名詞を先に言い、あとで説明する形。
たとえば、
Le temps, c’est de l’argent.
時は金なり(←時、それはお金である)
Penguinne, c’est mon prénom.
ペンギーヌ、それは私のファーストネームよ。
難しい言葉を使うと「文頭遊離構文(ぶんとうゆうりこうぶん)」という、おばけが出てきそうな名前なのですが、個人的に私は「ダーバンの文」と呼んでいます。
大昔、アラン・ドロンが
「ダーバン、それは現代を生きる男のエレガンスだ。」
と決めていたからです⇒⇒アラン・ドロンのダーバンのCMでフランス語を学ぶ。
ひじょうによく使われるので、これまでも何度か出てきました。
くわしくは、こちらに書いています。
⇒第26話 バルザックの家 その2
こちらのキーフレーズはこの形の最初の名詞に関係代名詞がついて、ちょっと長くなったものです。
⇒第46話 真夏に小春日和について考える
c’est-à-dire
この形もよく出てきますね。「すなわち、つまり、言い換えれば」という意味です。
前の言葉を、説明するときなどに使います。
le Tenno, c’est-à-dire l’empereur du Japon
天皇、すなわち日本の皇帝
Il n’a pas téléphoné, c’est-à-dire qu’il ne viendra pas.
彼は電話してこなかった。つまり来ないということだ。
よく、c.-à-d と略されます。
ne pas hésiter
hésiter (エジテ) ためらう という意味。
この動詞の命令文で「ためらわないでください⇒ご遠慮なく」という意味です。
Si vous avez besoin de quelque chose, n’hésitez pas à me le dire.
ほしいものがあったら、遠慮なくお申し付けください。
きょうの豆知識~モンマルトルのブドウ畑の歴史
モンマルトルはパリの北部18区の一角。パリで一番高い丘です。
ワインのおじさんが話してくれたように、地名の由来は Mont des Martyrs(殉教者の丘)。
初代パリの司教の聖ドニ(サン・ドニ)が、ほかの2人の司教といっしょに、この丘のあたりで首をはねられて殉教したという言い伝えからできた名前です。
19世紀になって、パリ大改造で市内が整備されたため、まだ農村風景の残っていたモンマルトルに、芸術家たちが引っ越してきました。
もちろん風景を絵に描くためです。
ピカソやモディリアーニを始めとしたお金のない画家たちが「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」という名前の安いアパートに住み、絵を描いておりました。絵かきでない芸術家たちもこの界隈に集まってきます。
洗濯船についてはこちらの記事の豆知識に書いています。
⇒第37話 『アメリ』と歩くモンマルトル
しかし、19世紀の半ばぐらいから、このあたりで、キーフレーズに出てきたHBMと呼ばれる「低家賃住宅」の建築が始まったのです。
この計画に反対であった画家たちは結集して、今のブドウ畑のあるあたりに立てこもり、花を植え、«Le square de la liberté»(自由の小公園)というプラカードをたてました。
これを受けて、18区の役所は住宅建築の計画を取り下げ、かわりにブドウ畑を作ったのです。
ここで毎年収穫されるブドウから、パリ産ワイン、ル・クロ・モンマルトル(Le Clos Montmartre)が生まれます。
ル・クロ・モンマルトル
畑、作っているところ、収穫祭への搬出など見られる動画です。
画家のユトリロ(1883-1955)は50年間にわたって、この街の風景を描いています。よっぽど魅力的だったんでしょうね。
現在は、彼の描いた風景や、坂道、サクレ・クール寺院、テアトル広場、ムーラン・ルージュなどをめぐる観光地であり、映画「アメリ」のロケ地になったことで、訪れる人がさらに増えました。
カミーユとアントワーヌははこのへんに住んでいるらしく、「虎と小鳥」でもモンマルトルはよく出てきますね。
モンマルトルの一日
貧乏画家たちが住んでいたモンマルトルですが、第1次世界対戦の前あたりから、観光地化がすすみ、家賃があがったので、アーチストはモンパルナスのほうに移っていったのだそうです。
観光地になるのも良し悪しですね。
それでは次回の「虎と小鳥のフランス日記」の記事をお楽しみに。
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