カンヌ

フランス語を読む練習

カンヌ国際映画祭の簡単な歴史。

毎年5月にフランスのカンヌで開催される、カンヌ国際映画祭の歴史を3分半で語っている動画を紹介します。

タイトルは、Petite histoire du festival de Cannes カンヌ映画祭の手短な歴史。

フランスの小中高校生の勉強を助けるサイト、Lumniの制作した動画です。



Petite histoire du festival de Cannes

3分30秒、フランス語の字幕あり。

トランスクリプション

Le Festival de Cannes a une longue histoire, remplie de chefs d’oeuvre, de scandales et de nombreux rebondissements.

Nous sommes en 1938.

A la Mostra de Venise, sous la pression d’Hitler et de Mussolini, les films récompensés sont des oeuvres de propagande fascistes.

Ce palmarès choque.

Naît alors l’idée d’un festival international libre, à Cannes.

La première édition du festival doit débuter le 1ᵉʳ septembre 1939.

Mais ce jour-là, l’Allemagne envahit la Pologne.

Le lancement du Festival de Cannes est reporté.

Le 3 septembre La Seconde Guerre mondiale éclate.

La première édition n’a donc lieu qu’en 1946.

Elle est marquée par le cinéma d’après-guerre, le néoréalisme : Rome ville ouverte, de Roberto Rossellini, obtient le Grand Prix, l’ancêtre de la Palme d’or.

Dans les années 1950, le festival prend son essor.

Acteurs et journalistes étrangers se précipitent dans ce festival qui fait chaque année sensation.

C’est à Cannes que naît en 1953 le mythe Brigitte Bardot qui pose en bikini sur la plage de la Croisette.

Après avoir popularisé la Nouvelle Vague en 1959, le festival va continuer de faire parler de lui dans les années 1960, pour des raisons plus sulfureuses cette fois.

D’abord avec La Dolce Vita du réalisateur italien Federico Fellini, qui obtient la Palme d’or en 1960.

Mais le film fait scandale.

Considéré par certains comme pornographique.

Le Vatican menace même d’excommunier les spectateurs du film !

En mai 1968, le festival débute alors que des émeutes ont lieu dans toute la France.

Sous l’impulsion des réalisateurs engagés Jean-Luc Godard, François Truffaut, Alain Resnais ou Claude Berri.

Le festival est finalement annulé.

À partir de 1972 s’opère une petite révolution.

Avant cette date, Les films présentés en compétition étaient choisis par les États, ce qui excluait les films jugés trop diplomatiquement sensibles.

À partir de 1972, c’est un comité indépendant qui choisit les films.

Le festival s’ouvre toujours plus au monde, se soucie peu des questions diplomatiques, projette des films censurés dans leur pays.

Il crée aussi la Caméra d’or, qui récompense le premier film d’un réalisateur, et la sélection Un certain regard, qui présente une sélection de films de réalisateurs moins connus.

Reste un défi de taille à relever pour le festival : la parité.

Sur les 74 éditions précédentes, seules onze femmes ont exercé la fonction de présidente du jury et deux ont reçu la Palme d’or : Jane Campion pour La Leçon de piano en 1993 et Julia Ducourneau pour Titane en 2021.

Le festival est toutefois sensible à la question.

Iris Knobloch succédera à Pierre Lescure à la présidence du Festival de Cannes.

C’est la première fois qu’une femme accède à ce poste depuis 1946.

カンヌ国際映画祭・和訳

カンヌ映画祭は長い歴史をもち、名作、スキャンダル、数々の紆余曲折に満ちています。

1938年のこと。

ベネチア映画祭では、ヒトラーやムッソリーニの圧力により、受賞作品は、ファシストのプロパガンダの映画となっていました。

受賞作のリストは衝撃的なものでした。

そこで、カンヌで、自由な国際映画祭を開催するアイデアが生まれたのです。

第1回めは1939年の9月1日に行う予定でした。

しかし、この日、ドイツがポーランドに侵攻し、カンヌ映画祭の立ち上げは延期されました。

9月3日に第二次世界大戦が勃発しました。

結局、第1回めは、1946年にようやく開催。

戦後のネオリアリズムに彩られた大会で、ロベルト・ロッセリーニの、『無防備都市』(Rome ville ouverte)がグランプリを受賞しました。パルム・ドールの前身です。

1950年代になると、映画祭は一気に盛んになりました。

海外の役者やジャーナリストが映画祭に押し寄せ、毎年センセーションが起きました。

クロワゼットの海岸でビキニ姿でポーズをとったブリジット・バルドーの神話が生まれたのは、1953年、カンヌでのことです。

1959年にヌーヴェルヴァーグを広めたあと、映画祭は、1960年代を通じて、これを話題にしましたが、今回はもっときな臭い理由によるものでした。

まず、1960年に、イタリアの監督、フェデリコ・フェリーニが、『甘い生活』(La Dolce Vita)でパルム・ドールを受賞しましたが、この映画がスキャンダルを巻き起こしました。

一部の人がポルノ映画とみなしたのです。

バチカンは、この映画を見た人は破門すると脅しすらしました。

1968年の5月、映画祭は、フランス全土で暴動が起きているさなかに始まりました。

ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、アラン・レネ、クロード・ベリなど、社会参加していた監督たちの要請で、結局、映画祭は中止になりました。

1972年に、ちょっとした革命が起きました。

それ以前は、コンペティションに出品される作品は、それぞれの国によって選ばれていました。外交的に問題があると判断された映画は除かれていたのです。

1972年からは、独立した委員会が映画を選定しています。

映画祭は、どんどん世界に向けて開かれ、外交問題のことなど気遣うことなく、自国では上映を禁止された作品も公開しました。

その監督の処女作から選ばれる「カメラ・ドール」や、あまり知られていない監督の作品を紹介する、「ある視点」賞もあります。

映画祭には、パリテという難題(大きな挑戦)が残されています。

過去74回の開催で、女性が審査委員長を勤めたのは11名だけで、パルム・ドールを受賞したのは、2名です。1993年の『ピアノレッスン』( La Leçon de piano )のジェーン・カンピオンと、2021年の『チタン』(Titane)のジュリア・デュクルノーです。

しかし、映画祭はこの問題にたいして、敏感になっています。

アイリス・ノブロックが、ピエール・レスキュール会長の後任として、会長に就任します。

女性がこの職につくのは、1946年以来、はじめてのことです。

単語メモ

un palmarès  受賞者名簿、入賞者リスト

prendre son essor 発展する、飛躍する

excommunier ~を破門する

s’opérer 起こる

de taille  非常に大きな、とても重要な



カンヌ国際映画祭・関連動画

今年、2022年は5月18日から5月28日まで開催されます。

映画祭が始まったことを伝える1分半のニュースクリップ

今年は75回めなのですね。トム・クルーズ、59歳ですが、若々しいですね。いったいどんな健康法(?)をしているのでしょうか。

昔、鳥(ナイチンゲール)のふんと米ぬかを合わせたパックをしているという記事を読んだことがありますが、パックだけでは、全身の若さは保てないし。

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ビキニ(水着)の起源。核実験に由来する名前になった理由は? ← バルドーのビキニの話が出てきます。

ヌーヴェルヴァーグの代表作、大人は判ってくれない:フランス映画の予告編 ← 1959年第12回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した作品であり、ヌーヴェルヴァーグを代表する映画。監督はフランソワ・トリュフォー。

*****

フランソワ・トリュフォーが監督賞を受賞したのは、彼が27歳のときです。

今年、彼の生誕90周年で、記念イベントが行われていますが、生きていたら、ゴダール監督みたいに90代になるところだったんですね。






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